2009年8月28日金曜日

予想外のコンタクト

先週の話ですが、ある会社さまから「ちょっと話をしませんか?」とメールをいただきました。

全く思い当たるところがなかったので、

「はて?営業的広報がいまいちな私とどうやってつながったんだろう?どなたかの御紹介かな。。」

と興味深々でご訪問しました。そこで、お会いして、
「どうやって私を見つけたんですか?」とお聞きしたら、
答えは私の所属しているインデペンデントコントラクター協会(NPO)の会員紹介サイトからだったそうです。

なるほどとは思いましたが、これは全くの予想外でした。なぜか?

私の自己紹介ページの自己写真部位がアニメだからです。(これです
固めな方や仕事的に冒険したくない(する余裕がない)方にはちょっと不真面目に感じると思うんですよね。

別にふざけているわけではないんですが、
この協会に所属しているIC(フリーランス)で教育に属している人はかなり多いんです。
おまけに、掲載されているテキスト情報は似たり寄ったりで差別化なんて難しく、これを営業チャネルにするのは難しいと判断したわけです。
(現実、この協会に入会したら仕事がいっぱい入るのではと期待していた方が失望して脱会されるケースがあるそうです。
でもね、マーケティングや営業はそんな甘いもんじゃないですよね。期待しすぎだし世間に甘えがあります。独立は腕が優れているかだけでは駄目で、(営業的にも)食える算段がきちんとついているか(もしくは飢えてもいいからやりたいか)どうかがものすごく重要です)

そういうわけで、どうせ載せるなら「こんな奴もいるんだ」と印象に残るだけの方が自分らしいなと考えてのことです。

聞いたところによると、逃亡犯追跡用のモンタージュも写真よりも似顔絵の方が発見率が高いそうです。写真は比較的左脳活動を喚起させてデジタルに差異部分にシビアになる(クリティカルに判断する)そうなんですが、絵は右脳活動を喚起させて共通部分にフォーカスしたり差異部を自動的につなげて考えてくれるからなんだそうです(どこまで本当かはわかりません)。

(変な小理屈はともかく)
とういうことで、なぜ私にたどりついたかは判明したのですが、かえって、あの絵から「こいつと話をしてみようかな」と判断したこの方の勇気or感性にかえってリスペクトしてしまいました(笑)
こんなこともあるんですね。

でもすごくうれしかったです。
能力開発の分野でやる気を持っている方や自分の組織のメンバーを成長させたいとがんばっている方(、もしくは個性的な方)と腹を割った話ができることは、私のモチベーションでもかなり上位に属しているんです。根拠無く、仲間感が出るんですよ(笑)
ただ、フリーランスってそうそう広報活動に時間を使えないんで顔が売れず、上記の様な機会はそんなにないんですよね。。
だからこういう機会大募集です。発注とかまぁどうでもいいです。
とりあえずいっかいダイアログしましょう。気に入ってイメージが湧いたら案件化しましょう

そんなわけで、うれしくて話すぎちゃったかもしれません。。
(結構、これが失敗の元なんだよな(笑))

2009年8月5日水曜日

ある老仕事人の思い出

傘を干そうと広げてみたら、骨が曲がっていたので修理しました。
(安い折りたたみ傘ですが、自分はものを簡単に捨てられないタイプです)
骨にペンチを当てていたら、急にあるおじいさんの顔が鮮やかに浮かんできました。
私が子供の頃(幼稚園~小学生)、そのおじいさんは近所を旧いリヤカーひいて、
包丁研ぎや色々な家庭用小物の修理をして生計を立てていた様です。
黒いめがねをかけ夏は白いランニングシャツで腰に使い古された手ぬぐいをぶら下げていましたっけ。
彼は当時70を越えていたでしょうし、どちらかというと小柄で痩せ型の男性でしたが、
受ける印象は力強い感じでした。気力的なものがそう感じさせたのかもしれません。
私の母が彼を気に入っていて仕事を頼む関係か、
よく私の家の道路の前にござをひいて座り込んで包丁を研いでました。
私は当時(今も?)人見知りでしたし、
新興住宅街に現れる人物としては(昔とはいえ)違和感のあるお人でしたから、
彼と殆ど口をきいたことはありませんでしたが、
母が彼と話ていたのをまた聞きしたところによると、
彼は戦時出兵体験者で、帰国後、(本人曰く)頭が悪くやれることがないんで、
この仕事をしているとのことでした。
でも、僕の印象では、彼は真っ黒に日焼けするまで精力的にリヤカーを毎日引いて移動し、
頼まれた仕事にものすごく集中していて殆ど休んでいるシーンを見たことはありませんでした。
「もったいない」と良く口にして、どんなもんでも修理しきってやるというオーラも出まくってましたっけ。
仕事も丁寧で細かい智恵がよく施されていた記憶もあります。(本当に頭が悪かったんでしょうか。。)
(毎日フロー状態だったんだろうな)
たまの仕事の節目に、私の母から一杯の冷水をもらい、
(ほんとうに)美味そうに飲み干す様は今でも記憶に鮮明です。
取るに足らない記憶のはずですが、こうも記憶に深く刻まれているのはなぜなんでしょうね。
なんか、すごく大事なものの気がするんです。
彼のことを思い出すと、尊敬の念とあったかい気持ちが湧きおこります。
彼の仕事する様は非常に美しかったと今にして思います。
あんなオーラが出せる仕事人になりたいなぁと今改めて感じました。