2010年8月18日水曜日

久々なので盛り合わせ②

前回から引き続き、ここ最近のマイ気づきメモ(ipod touch)からの抜粋です。

■「管理と経営は別物」

神戸大学院教授の三品さんの本「経営戦略を問いなおす」を読んでいて出てきたものです。

「日本では管理をマスターした先に経営がわかる様になるという発想が根付いているが、実際は別物」との見解でしたが、たしかに私の知っている殆どの日本企業ではこの発想が人事のキャリアパスの根底にあるように思えます。

三品さんも書かれていましたが、私もこの考え方は良い経営者を作り出すことを阻害しているのではないかと感じます。
リーダーシップとマネジメントを同義の様に扱ったり、この先に経営が見えてくるといったようなごった煮の様な発想は捨てて、それぞれにきちんとフォーカスして能力開発を考えた方が良いと改めて思いました。

さらに付け加えて言えば、昨今では環境が複雑化しているせいか、管理すべき対象も複雑・膨大になってしまい、ミドルの管理者層(経営人材候補)がそれだけでパンクしてしまって、経営センスを磨くステップに行けなく(行かなく?)なってしまっているようにも感じます。

ちなみにこの本では、経営戦略は科学(人に拠らず再現性がある)でなくアート(人に拠り再現性がない)であるとも書いてありますが、趣旨と違いますが、私は説明を読んでアートな性格の仕事に心がひかれるなと感じました。

■センシング(現状を感じとる)とアジリティ(俊敏性)

この二つのキーワードが、ここ半年ほど非常に私のまわりで何度も顔を出しています。

センシングとは、ちょっと意訳しちゃうと、いま何が現場で起こっているのかを自分の思考フレームを外して、ひたすらありのままに感じることを指し、ここが疎かであると課題認識や判断で致命的な過ちを起こしてしまう感じがします。
組織変革や企業活動のパラダイムシフトに取組む際に最近では当たり前の様に出てくる言葉になりました。これだけでなく、センシングを強く意識することはそれ以外のあらゆる思考・行動でも重要だなぁと日に日に実感しているこの頃です。
(ちなみに質の高いセンシングを我々は驚くほどできていません(もちろん私もを含めます))

アジリティは直訳すると俊敏性と訳せます。この言葉、何年も前に米国出張で聞いたことがあり、その時は「まぁ大事と言えば大事だろう。俊敏であることはその逆より良さそうだわなぁ」といった程度にしか考えていませんでしたが、最近になって、急に

「パートナー会社の仲間からの米国ASTDカンファレンスの重要トピックとして紹介された」

「別のパートナー会社から、Emotional Intelligenceの向上のポイントとして言及された」

「たまたま知り合いになった外資系コーチング会社の重要コンセプトとしてこの言葉が取り上げられた」

と、これらの偶然が、関連しない3組織から1週間たたない間で指摘されたことはどう考えても「お空からの特別な知らせ」としか考えられないので今後も注視していこうと思います
(ポイントは感情・思考の切り替え力のようです)

■ラポール(コーチングで言うところの信頼形成)が深くなると学びも深くなる

コーチングやファシリテーションの実践の中から強く実感しているのですが、
相手とのラポールが本当に深い状態で形成されている時は、知的好奇心の純度もより高くなり、当然コミュニケーションの質も高いですから、非常に良い学習が起こります。

最近の自分の例なので説得力が弱いかもしれませんが、

コーチングを通して、クライアントの所属する業界業務への理解が短い期間で想定以上に深く出来上がっていることに自分でびっくりしている。

昨日、パートナー会社とのミーティングで、メンバーは内部社員、フリーランスという雑多な構成員だったにも関わらず(エグゼクティブコーチングや組織変革を仕事とするメンバーだったせいか)、質の良い一体感とともに深い組織学習が行われた確信を多くのメンバーが持った。

学習する組織を強く志向される方は、場のラポール度を強く意識されると良いと思います。

(まぁ、そうは言ってますが、ラポールは単に仲間意識が芽生えるといったレベルよりもさらに上方に存在するものなので、簡単ではありませんが。。)

■ハーバード白熱教室の再放送をみて

感動してしまいました(笑)。いい年のおっちゃんが、(正義を考えるということに関する)自分の価値観を大きく変えられてしまいました。考え抜かれた知性って素晴らしいですねぇ。

ちなみに、講義の中で紹介された言葉で、

「人間は本質的に物語を紡ぐ動物である。『私は何をするべきか』という問い答えるには、まず『どんな物語の中で自分の役を見つけられるのか』という問いに答えてからでないと答えることはできない」(マッキンタイア)

がありましたが、この発想はコーチングにおいても非常に重要な考え方だと思います。最近、強くここを意識しながらコーチングを実践しているので、妙に心にはまってしまいました。


それではこれにて!

2010年8月16日月曜日

久しぶりなので盛合わせで

本当に久しぶりのブログです。以前にもtwitterにはまるとブログ書く意欲が減退するとあちこちで書いていたのですが、どうやら私は衝動でものを書くタイプなのだということがはっきりしました。

最近では「いつでも好きな時に呟ける」と思ってしまうとtwitterにさえ呟く気も落ちるありさま。。
(抑圧された状態をエネルギーに変えて行動に起こすってことなのかしらん)

職業的なモノ書きさんになるのはどうも無理のようです。残念。

ブログには起こしていないのですが日々感じたことは愛用のipod touchには書き込んであるので、今日はそのメモを見て私的に鮮度が落ちていないものをいくつか挙げてみようと思います。


■ 「リーダー、またはプロが見つめている時間軸はどこ?」

クライアントの方とお話をしていた時、たまたま上がった問いが、

「@@のプロとして本来メインにフォーカスすべき時間軸はどのあたりが望ましいと思いますか?」

だったのですが、非常に面白い話を導いてくれました。

もちろん、このフォーカスする時間軸は状況において変化するのは言うまでもありませんが、「主に思考を費やすべき時間軸はどこなのか?」そして「それはなぜなのか?」という考察を日頃からどの様な深さでしているのかがわかったり、不明だったその人の様々な内的マップが見えてきます。

また、この問いへの回答がクライアントによって様々で本当に面白いです。
例えば
「腕の良いシステム開発系PMなら3ヶ月先。それ以下でもそれ以上でもないね」とか
「色々と考え、現実的理想的という邪念を排除して考えると1年先だと思います」等々。
その理由も非常に多様性があり知的好奇心を刺激されまくります。

皆さんもご自身で(深く!)考えてみたり、尊敬すべきメンターに聴いてみてはいかがでしょう?

但し、現実に飲み込まれて右往左往している人(経営者・マネージャー・労働者)に聴いても面白い回答は返ってこないのでご注意を(人物評価には使えるかも)

そういう人は「そんなのその時々の状況によって違うでしょ(もっと状況を特定してくださいよ)」とか「いやあ、普段あまり意識していないですねぇ」とか「それで何が分かるんですか?」といった応えが返ってくるだけですね。

ちなみに、コーチング的には、理想と現実の行動(首尾一貫性)とのギャップ感からヒントを得ていただくことを目的としたりします。(他にも色々使えますがね)


■場の賑わいと学習深度の関係

研修を含むファシリテーションをして実感が強まっているのですが、「場が(一見して)盛り上がっていることと、学びが深くなっていることは必ずしも直接的な関連があるわけではない」ということです。

独立したての頃は、両者に強い相関関係があると思っていたので、良い講師、良いファシリテーションのKPIを、「場のノリ」にしていたのですがその事が本質を外す恐れがあることを学びました。(以前のブログ(「研修アンケート」の話?)でも似た様なこと書きましたね)

正確に表現すると、学びを深めるために参加者の盛上がり(知的興奮)は重要だけれど、その現れ方は人によりけりで、必ずしもノリとして現れるとは限らないといったことなのかもしれません。

最近では、「場のノリ」「問いかけに対する間の間隔やボディシグナル(&その後の回答の深度)」「コンテンツ開始前と後の発言やボディシグナルの変化」「コンテンツ開始前に想定しておいた変容イメージとのギャップ」(もちろん成果物も)等の多様なポイントで状態を測るようになってきました。

まだまだ奥の深い世界です。


■グローバルは大事だけれど

ちなみにテーマはこう書いてありますが、グローバルを否定するものではありません。グローバル化はもう逃げれない域に来ているとひしひしと感じています。キャッチアップは重要必須でしょう。

正直、2,3ヶ月前からこのグローバル化というキーワードにやられ、色々と不安にもなり、職業的な見地からいったん外してあった、「グローバルな人材へのソリューション提供」もなんとかせねばなるまいかと悶々としたのですが、あることをきっかけにすっきりしました。

結論としては、自分がクライアントとするのは日本語、日本文化をベースとして生きてきた人のみとするというところに到達したのです(NLPを使ったパフォーマンス開発に関してはこの限りではないかもしれません)。

自分が自信を持って提供できる専門スキルは、日本語及びそれを文脈として意味づける日本文化と切ってもきれない関係(深く狭い領域で深堀したもの)なので、単に表層的に外国語をある程度通用するレベルに習得したとしても、その言語をメインに育ったクライアントが持つ深大な文脈を理解できなければ高い価値を提供できない恐れがあるからです。それでは本末転倒になってしまいます。当然この決断はリスク大ですが、日本人を強くすることにコミットとするという決断はある意味さわやかな気持ちにもなれます。

但し、グローバリゼーションへの対応必要性は深刻レベルに引き上げです。そこができなければ、自分の提供価値も下がるのは間違いありませんから。

今日はひとまずこんなところで。