2009年9月25日金曜日

独立って(専門⇔信頼、できる⇔食える)

ちょこっと私の現時点で考える、

「独立してやっていける人と、そうでもない人」

についての意見(というより経験に基づく感想かな)を書いてみます。

(わかっている人には当たり前かもしれませんが、案外誤解している人もいますんで、人によってはお役に立てるかと。。)

(場合によっては独立をプロと置き換えた方がわかりやすいかもしれません。これは企業に属している人でも言えることですし、経営者には言えませんが会社に置き換えると案外通じちゃったりしますからね。)

(身一つで食べていける存在になりたかった私を含めて)独立志向の強い若人がよく意識しがちなのが、
「いかに自分の専門性を高めるか?」というテーマですよね。

そして、その観点で自分のキャリアを振り返り、
「ああ、こんなしょうもない仕事では専門性が身につかない。。最悪だ。。」とか、「自分はテーマに一貫性の無いプロジェクトに行き当りばったりでアサインされている。。将来が不安だ。。」
ってなりませんか?
私も当時そんな悩みで悶々とした日々を過ごした経験があります。

確かにフリーランスとして身を立てるには、「あなたはどんなスペシャリティがあんの?」というクライアントの問いに真正面から応えることは重要です。だから、自分の専門性を意識しないでキャリアを長いこと過ごしてきた方はどっかのタイミングで自分のキャリアに専門性というか一つの意識的なテーマ・方向性を設定して仕事に取組んだ方がいいとも思います。

ただ、私の実感としては、専門性にばかり目を向ける前に、どんな仕事においても、

「相手から仕事で信頼される」

という点が前提の前提として非常に重要だなと思います。

「専門力ありきの前に信頼ありき」

といった方が頭に残りやすいでしょうか。。

クライアント、上司、先輩、仕事のパートナー、なんでもいいです。先ず、信頼に足る人物と認知されないと、いい仕事が回ってこない、いい仕事が回ってこないと何を専門として立てるかのヒントや確信も得られないし、実力も蓄積されないんですよね。

でも若いうち(キャリアの前半という広い期間でも言えるかな)って
「専門性、専門性、専門性」って焦ちゃって、この大事な前提を疎かにしてしまう人多いんですよね。

「この仕事は自分の専門性につながらないから適当に逃げよう」とか「首突っ込まない様にしよう」としてしまう。(私も当時そうでした。)

この行為は案外逆説的にリスク的な行動かもしれません。結果的に漂うことになって薄いキャリアになります。こわいです。


それに似た話で、

「独立してやっていくためには、能力を極めて高いレベルの仕事ができるようにならなければ」

と武士のようにひたすら自分の武器(スキル)を磨き続ける人がいます。
これも決して間違っていませんが、私の感想では、

「できる?」より「食える?」の方が重要な観点の様な気がします。

(これは、独立している知人が少ない人、事例が少ない会社文化の人が良く陥りがちな話です。)

スキルを極め続ければある時パァっと自分が輝き始めてお金が転がり込んでくるということは殆ど無いと思います(←独立しても大丈夫という確信に至れるという意味の比喩ね)。
力を上げることも大事ですが、
「市場のニーズは?」「ビジネスモデルは?」「適正なプライスは?」「どうやってクライアントor具体的な案件にリーチする」「事業継続性は?」
といった(広報広告ではなく本質的な意味での)マーケティングが重要ですし、その中にはコミュニケーション、交渉力も含まれると思います。

私もひたすら芸を磨き続ける時期があったのですが、いくら磨いても、独りでやっていく確信には至れませんでした。

「このやり方や案件を作り持続できれば食べていけるな」という具体的な収入の道(及びその持続可能性かな)が見えた時にようやく「独りでやっていける」と確信できました。

「食える見通しはついた?」

網羅的なガイドにはならないですが、頭に入れておくと役に立つかもしれません。(そうだといいなぁ)
専門⇔信頼、できる⇔食える、似てるんですけど微妙に違うんですよね。

2009年9月18日金曜日

オートマティズム

「我々はまだオートマティズムを手に入れていないんだ」

僕が好きなサッカーの監督モウリーニョ(現インテル)がインタビューでこたえていたそうです。

この言葉が妙に心に響いてしまいましたね。

というのも、仕事で組織変革やチームビルディング系のファシリテーションをする関係で、

「いいチームってなんだろう?」

って年中考えているんですけど、

「深いレベルでのビジョン(イメージ)共有」、そしてそれに至る「戦術理解」、「スムーズな相互連動性」がすごく重要なんですよね。

そういう良いチームのお手本って、やっぱりチームスポーツの優れたチームなんです。
(野球とか指導者がゲームの途中でインターセプトできるようなスポーツのそれは現代ではあまり参考にならない気がします。できれば時間制で、ゲームが開始したら基本はチームメンバーに任せるしかないというスポーツが現代のチームのお手本になりうるのではと思ってます。

さらに、昔は決められた戦術をきちんと言われた通りに動くことを反復訓練していれば結果が出せた時代もありますが、最近のスポーツは戦術の研究が進んでいて、試合展開によりめまぐるしく方針転換が求められるので、個々の選手が試合中に思考しなければならない。チームビルディングのお手本は戦略性の高いスポーツのものが良さそうといえるかもしれません。)

繰り返しになりますが、

「深いレベルでのビジョン(イメージ)共有」、「戦術理解」、「スムーズな相互連動性」、さらに(現代では)「外部環境の変化を敏感に察知して、都度応じる戦略を思考できる」

これが良いというか素晴らしいチームの理想になると思うんです。

さて、いったいどういう風にそんなチームを作るんでしょう?すごいことですよね。

でも、サッカーを見ていると名将と呼ばれる監督はやってのけます。特に欧州の名将は結構ロジカルに方法論としてこれを実践しているようです。というのも非常に再現性(チームが変わっても結果を出している確率)が高いからです。

とまぁ、殆どは私の勝手な思い込みが入った興味ではあるのですが、
上記のモウリーニョ監督の言葉は、良いチームのチェックポイントとして、(高度な)連動性が出来ているかを重視していることが読み取れます。一度、彼の講演でも聞いてみたいものです。ためになると思います。

また、この話、チームに限らず個人のパフォーマンスにも同じことが言えたりします。
人は自分の中に色々な思惑、欲求、相互葛藤を抱えています。それらを統合して一つの目的を果たすために行動することが重要なんです。あまりパフォーマンスが高くない(もしくは活性度が低い)人は、自分自身の中のオートマティズムができていないと私は考えていたりします。
だからコーチングにおいても同じような発想でクライアントに働きかけたりしています。

この「オートマティズム」というキーワード、大変気に入りました。

多分仕事で暫く頻出すると思うので、もし仕事仲間でこのブログ見ている人がいたら、

「(ああ出た出た)」

とニヤニヤしないでくださいましな。

2009年9月7日月曜日

目の若さは脳の若さ?

先日、エグゼクティブコーチングでパートナー関係にある会社さんが、クライアントである経営幹部を招待したイベントに参加しました。

その際に参加者の方々全員のスピーチを聞く機会があったのですが、感じた大きな感想は一つ、
「皆、目が若い。活き活きしている」という点でした。
当然のことながら「社会的ステータスが高い人は一様目が活き活きしている」なんて気持ちの悪いおべんちゃら発言をする気は全然ありません。結構にごった目の人もいっぱいいます。(そんなのテレビつければよく分かりますよね(笑))

近頃、つくづく感じるのですが、目が活き活きしている人は何か本物なものを持っている確率が高いと思います。それが、社会的ステータスが高い人だけではありません。社会ステータス的には高くない職業の人だって、場合によっては犯罪者だって、目に輝きのある人は何かあるなという風に感じます。

最近頻繁に、目の輝いている年配の人と結構付き合う様になって思うのは、
「目の輝き(私は脳の若さと同義と考えています)は年齢に関係ない」
ってことです。

最近、高年齢や若年令関係なく目に輝きの無い人が本当に多くなっています。そして、それがどんどん低年齢化しています。ちょっと心配です。

ちなみに、今回の話は、きらきらした目の若者像を押し付けたがっているおっさんのそれとは違うつもりです。脳が不活性化な状態で長い年月をすごしてしまうとリハビリが大変になるというコーチ的な心配に基づいています(笑)

でも、小学生以下の子供達の目はわけわかんない位にキラキラしてますね。
娘を迎えに保育園に行くと、キラキラした目の子供に取り囲まれる時があり、妙に動揺してしまいます(笑)

さて、そういう自分の目はどうだろうね。。
(ハイジんちの)ヨーゼフばりにどんよりしているかな?(でも彼?は何か持っているな。。)

五感の一感覚を抜くと

先日、オーディオメーカー関係の知人の好意で

「全く音の反響しない部屋」
(何でも音響機器を作る際のテスト等で必要性の高いものなんだそうです)


に入ることができました。

感想としては違和感に尽きると思います。

声等の音が吸われてしまい、跳ね返って響くということが全く無いんです。
唯一の反響は、自分の頭の中(おそらく頭蓋骨等)の跳ね返りだけです。

ですから、他人としゃべっていても

自分だけが一人で呟いているというか、

頭の中の独り言が外に漏れているかの様な感覚になります。


「エッケイさん、しばらくこの部屋に一人で閉じ込められたらおかしくなりますよ」


と知人はニヤリと笑いながら話してくれましたが、言っている理由が良く分かりました。

なんか、不思議な違和感、(他の感覚が鋭敏化するのでしょうか)野生動物的な用心深さというか感覚が研ぎ澄まされる感じになります。

この感覚は、そうダイアローグ・イン・ザ・ダークを経験した直後と似ています。
(ちなみにダイアローグ・イン・ザ・ダークとは、全くの闇の中を探検するというイベントで、日本を含む世界中で評判を呼んでいる体験イベントです)

普段何気なく頼っているであろう五感の一つを奪われるだけで、こうも不思議な感覚にとらわれるんですね。
五感の一つを封じてみる。これだけで、五感を研ぎ澄ます訓練になりそうな気がします。

皆さんも試してみてはいかがでしょう?
(普段仕事で五感を使わない人にも良い影響をもたらしてくれるような気がします)

2009年9月1日火曜日

スキルか遺伝か

今回の選挙はえらく極端な結果になりましたね。

それはさておき、選挙結果のテレビ番組で初めて、
小泉首相のご子息の小泉 進次郎氏を拝見しましたが、その話しっぷりは父親にそっくり瓜二つですね。それを見て、知りたくてしょうがなくなったのは、

果たしてあのそっくりぶりは

「似るための訓練の結果なのか?」or「遺伝なのか?」です。

非常に興味深いです。

私が拝見するに、あれは訓練で模倣可能なスキル的なものだからです。

でも遺伝じゃないとも言い切れないし。。どっちなんでしょうね。

腕のいいトレーナーなり指南役がついているのかな。。

田中真紀子さんが父親の地盤をついで議員になった時に
急に角栄弁になったのを見て驚愕した記憶がよみがえって懐かしいです。

彼女もお嬢さん育ちだったろうに、いきなり田舎オヤジ系キャラになる時に抵抗は無かったのかな。。

ちょっと職業的な観点で見てしまいました。