2011年8月19日金曜日

5日で絵が上手くなる?2

前回のブログでは、5日間通うと絵を描く力が圧倒的に上がるワークショップの出会いと体験の概要について書きました。

今回はその効果や感じた事にやや詳しく触れてみようと思います。

①「みる技術」 、「センシングモード」と「センシングフロー」

ワークショップの先生が強調していたのは、「このクラスで学ぶのは、描く技術では無く、観る(?)技術です。これが出来る様になると描くのも上手くなっていきます」という事でした。

この話を聴いて思ったのは、ここで求められているのは「在るものを在るがままに五感で受け止める」という事かなと。英語で言う所の「sensing」ですかね。

実は、仕事柄、この力のレベル向上が課題と思っていたので願ったり叶ったりです。ただ、課題であるだけに、この能力は私が最も苦手とするものだったりもします。
なんせ、私の能力の利き手はMBTIでいう所ではN(しかも主機能!)でして、入ってきた情報から連想されるものに思いを馳せたり発想を取り入れる事に集中するというタイプなのです。

そんなわけで、この五感でインプットした情報をありのまま受け容れる感覚を掴むのには正直大変苦しみましたが、それでもなんとか体得する事ができました。この感覚、正直、今までに殆ど使ったことのない不思議な感覚でした。

加えて、この「センシングモード」に気持ちよく没頭する、いわゆるフロー状態も味わう事ができました。
非利き手にあたる領域でまさかフローを体感するとは夢にも思わなかったのですが、味わってみると大変興味深いものでした。さながら別人になってしまったかのような妙な感覚です。
ワークショップ直後の1、2日はこのモードが余韻として残り、いつもの自分のモードに入れなくて少々戸惑いもしましたがやがて混乱も解消されて行きました。

②「スローラーニング」

このワークショップのウリは「5日間通うだけで絵を描くのが上手くなる」というものですから、受け手の印象はどちらかというと「スピードラーニング」的なものになると思います。

ところが5daysを終わっての印象はかなりの「スローラーニング」です。

本質的に重要な技術を一日ずつかけてゆっくりと時間をかけて徹底的に体に落とし込んでいくやり方なんですが、一見矛盾していそうだけれども、実はそれこそがスピード早く上達するポイントになっているようなんです。ここ何十年もスピードアップが仕事でもサービスでも能力開発でも大命題になっていますが、意味のあるスローさを賢く取り入れるのは重要だなと痛感しました。

③「描く個性と成長個性」

「人はみえ方(ものの捉え方)には個性がある。自分のその特質を知る事も上達のコツです」と先生に教えられました。
この事については、最終日に自分のものの捉え方の個性がわかってきました。私の場合は描く対象物をジックリと時間をかけて全体を把握してからでないと一切何も描け無い事がわかりました。一部だけでも理解しながら少しづつ手を進めていくという事が全く出来ない。だから、そこそこの時間が経過しても、全然描けなくてうんうん唸っていることは不思議じゃありません(ちなみにこの時の対象物は自画像でした)。代わりに全体像を把握してからのスピードはかなり速い方だと思います。

かなり不器用な感じですが、面白いことに、これは私の学習・成長パターンと共通していました。私は何か新しい事を始める時は、最初に長いこと上達出来ず「使えない木偶の坊モード」を続け、あるタイミングで全体を把握した瞬間に急速上達をするというパターンを描きます。

こんな個性の共通項があるなんて面白いですよね。

④「脳の可能性」

今回のワークショップで興味深かったものの一つに、「老若男女等による成長の伸びの差異は見受けられなかった」ということがあります。
一般に、若いほど学習効率が高い(もしくはアートは女性の方が上手になる)と思いがちですが、学習の種類によっては当てはまらないものも結構ありそうです。

むしろ「自分は@@だから伸びない・出来ない」という枠を取り外すことが出来れば、脳の可能性はまだまだ無限大にありそうな気持にさせられました。
今後は仕事面においてもより確信を持ってこの考え方でアプローチしていきたいなと思いました。

⑤「アートは全ての人が持っている力」

ワークショップの後半になって面白いなぁと実感したのですが、ほぼ同じ対象物を描いているのに絵の感じが個々でかなり違うのです。
昔の私はこれを「個人の技術差」と一言でスパっと片付けていたのですが、どうやらそれは違う様です。それは個々の見え方・表現の個性と考えた方が適切だなぁと思えてきました。それぞれかなり絵の趣は違いますがじっくりみると、それぞれがそれぞれに本物なのです。
こういった私のフィードバックを聴いて先生が「それこそがアートの本質なんですよ」とコメントされていて妙に感動してしまいました(笑)

世の中の人全てが自分のアートの個性を表現する力を手に入れたら、とてつも無く素晴らしい世界になるでしょうね。

でも先生は「アートに携わる人はそれを才能の世界と片づけようと片づけようとする」と言っていました。逆にこの考え方こそアートの本質と程遠い感じがしますね。これでは多くの人がアートに携わる事を諦めてしまうでしょうね。

まぁ、ちょっとできる人は排他的な世界を作りたいし、諦めたい人には言い訳が欲しい等々、こういった事は巷で良く聞く話ですしわからなくも無いですが、ただ、可能性のある人をいたずらに遠ざけてしまうのは罪だなと思います。コーチングとも繋がる話ですね。

⑥「後遺症」

ちなみに、このワークショップは普段使わない脳の使い方をするので、脳が混乱して日常生活に支障が出ることがあるらしく、施設に宿泊することを推奨されます(公営施設ですので高額ではありません。儲け目的ではないってことです)。
私は家が近かったのですが、念のため一番リスクのある日に二泊しました。

心の底では、「脳が混乱する様な刺激を話の種にむしろ食らってみたい」なんて不謹慎な事を考えていましたが、結果としては二日目に脳の頭頂部に妙に熱を持った位ですみました(先生の見解では脳梁に負荷がかかっている可能性だそうです)。

「なんだこんな程度か」と軽く残念なぐらいに考えていたのですが、なんとワークショップ終了の翌日に普段感じたことの無い部位複数カ所で頭痛が発生しました。不謹慎に何か起こる事を期待して後悔しました。どんな理由があるにせよ頭痛はきついもんでした。。

⑦「1週間経過して」


1週間経過後の今残っているワークショップの影響(効果)は、

・センシング(五感でひたすら受け止める)モードは意識的に起動可能です


・上記が影響しているのかもしれませんが、妙に集中力がある気がします。心が動じない感じもあり。そう言えば先生は「観る(右)モードは瞑想と似ている様です」と言ってましたっけ。。


・絵を描く力の持続は絵を描いて無いので正直わかりません。ただ、ちょっと時間をかければ何とかやれるだろうという楽観が常に心にあります


・仕事(能力開発、コーチング、組織変革、ファシリテーション)に使えるヒントをどっさり手に入れる事ができました


・アートする悦びを体感した満足感は心をずっと充足させています


という感じで今回はおしまいにします。それではまた。

2011年8月14日日曜日

5日間で絵が上手くなる?


5日間通うと絵を描く力が圧倒的に向上するというワークショップに参加してきました。

見つけたのは気に入っている本「ハイコンセプト(ダニエルピンク)」にたまたま載っていたからですが、その本によると、右脳の力をきちんと活用すると信じられない事が出来る様になるのだとか。。
参加者のワークショップ参加前と後の作品も載っていましたが確かに全く違う!
おまけに、今迄と違う脳の使い方をするので、他にも色々な変化が起こる事も有るそうです。

絵が上手くなる(と言うか描ける様になる)なんて考えた事もありませんでしたし、右脳を活用出来る様になる可能性もある、場合によっては、能力開発上の新たなヒントを得られるだけでも大きな事です。
早速ネットで調べてみると、日本でもやっている様です。
これは「行かなくてどうする?」でしょう。それでも、5日間もかけるし、まとまったお金(11万+α)もかかる躊躇がありましたので、説明会に参加して見たところ、先生は個性的でなんか持っていそうな空気が感じられます(本物の匂いっていうのかな)

そんなこんなで参加の覚悟を決めました。
(ちなみに、主目的は、仕事がら絵の上達より、能力開発の方です)

(でもでも、絵を描く事に強烈な劣等感を持ってから40年以上。。そんな事が果たして可能なのでしょうかねぇ?)

ワークショップは、あっという間の5days(ちなみにこれワークショップ名ね)でした。そして、こころ的には色々と上がり下がりタップリの日々でありました。

初日は怪訝、2日目は折れる寸前、3日目の前半まで凹み後半に面白くなってきて、4日目は描く悦びに漬かり、5日目に戸惑う。。うーん波乱万丈。(注:個人差かなり有り)

でも間違いなく、内容的に学習的に非常に濃厚な時間でした。

セッションで教える内容やテクニックは、何気にまっとうなものでした(本質的に重要な事をじっくりとやる感じ)。
先生曰く、「描く技術」では無く、「みる技術」を鍛える内容なのだとか。
決して怖い怪しいことはしません。

そして、そういった内容を、従来のやり方をなるべく遮断して、右脳系機能(右モードと呼ばれていました)を活性化させながら実施していました。

(この後に続く方を考えて細かい内容はあえて割愛します。内容を読んでわかった気になっちゃうと学習効果が相当下がるし、参加するモチベーション下がったりしますからね)

このワークショップで私は大変色々な学習的おミヤゲをいただけた気がします。最近のワークショップでも投資対効果は非常に高い部類に入ると思いました。

なにより40年も持ち続けた絵に対するコンプレックスが取り除かれて、
絵を描くというアーティスティックな悦びとはどういうものなのかを体感できたことは何ものにも変えがたいもののような気がします。

もしよろしければ皆さんも検討してみてはいかがでしょうか?

5ディ
アート・アンド・ブレイン


さて、そんなこんなでワークショップの効果がどうだったか?(ここが一番気になるでしょう?(笑))

ワークショップ参加前に課題で描いた作品と最終日に描いた作品がありますので、是非ご覧下さい!
ちなみに、最終日の作品は8割強を利き手の逆でやりました。



追伸:
折をみて、描く事以外の効果にも触れたいと思います。

2011年6月26日日曜日

娘お箸を使う

ちょいと親ばかネタです。

一ヶ月前位に、三歳の娘の通う保育園で妻が先生に聞かれました。

「りこちゃん、箸がうまく使えなくて苦労しているんですが、おうちではどうですか?」

私はその話を聞いてちょっとびっくりしてしまいました。

というのも、うちの娘は比較的要領覚えるのが早い方だと思っていたので、そんなことになっているとはちっとも思っていなかったからです。

でも確かに家では最近いい加減になっていて、エジソン箸やフォーク、スプーン、手等々入り交じって何でもありで特に箸訓練はしていませんでした。

そこで、箸を持たせてみましたが、エジソン箸の使い勝手が良すぎて箸を使おうとしない状態です。

褒まくったり、NLP的な間接メッセージやらで、取り敢えず箸を使わせますが、うまく出来ずに食欲まで落ちる始末。。そんなこんなで1週間近くそんな状態。


「強制をし過ぎて食事がつまらなくなるのも嫌だし、苦手感を作らせたくないし、こっちが指導しすぎて自主的な成長意識落ちても嫌だし。。」

なまじこんな商売しているだけに、あーでもないこーでもないと、結構陰で何がベストなアプローチかとこっそり悩んでおりました。

そしてそれから数日たったある日、最近の定番のセリフ、

「嫌になったらやめていいので少しだけお姉さんになる練習をしよう!」

をいいながら箸を食事の際に用意しました。

食卓に箸が並んだ状態で、既に娘の表情に軽く影がかかります。

最近の傾向であれば、暫くつまんなそうに箸を弄り、
「がんばって疲れたからもういい!」といってスプーンやフォークを使ってご飯を食べようとします。

でもこの日は少しいつもと違いました。

箸を見ながら何やら考えた娘、おもむろに箸を左に持ち替えました。

実は娘は左利きなのです。
ただ、左利きで箸を使うと右利きの人と手がぶつかりやすかったり、仲間で食事をする際に不便に感じる事が多くなるので箸は右で使わせる様にしようと左では特に教えてもいませんでした。

でも、なんと上手に使えるじゃありませんか。。娘も嬉しそうです。

「(やっぱり利き手か。。せっかく箸を使えるようになったのだから、変に右に矯正せずにこのままいかせるか。。娘の晴れやかな顔が一番だよねぇ)」

少しだけ躊躇いを感じながらも私は、

「良かったね。凄いじゃないか!」と娘の達成を一緒に喜びました。

でも、少しだけ未練たらしく、一言弱々しく追加しました。

「右も使えたら、ものすごくかっこいいんだけどねぇ」

すると娘は急に真面目な顔になって、左で持った箸の握りを丹念に確認すると、

急に箸を右に持ち替え直しました。そして、

これまた、上手に右でも箸を使い始めました!

これには私、完全に予想外で、こんな事もあるのか驚愕しました。
娘も見たことの無い位に嬉しそうです。

とまぁ親ばかな話なのですが、

でも今回の件は、子供の話という以外に、成長という観点で非常に考えさせられる事の多い出来事でした。(そんなわけでエッケイonに書きました)


「事態を突破する瞬間の鍵は利き手(仕込みは非利き手が案外重要)


「相手の可能性を他人が勝手に見切ってはいけない」

そして、

「可能性の開花は、他人ではなく本人のマターである」

普段からも語っている話ではありますが、心のそこから腹に落ちた瞬間でした。

自分の仕事のモチベーションは、
人のブレークスルーの瞬間に立ち会うことなので最高な時間でもありました。

親ばかではありますが、あえて、娘に感謝したいと思います。
(これに味しめて変に欲かかない様にしなきゃ。。)

2011年6月13日月曜日

「3.11後のキャリアデザイン」

(注:本内容は某社で実施している1:1のキャリアコーチングサービスのクライアント向けに発行されたメルマガの内容のロングバージョンです)


皆さん、お元気ですか?キャリアコーチの野口です。
本当にお久しぶりな感じがします。サービスようやく再開になりましたね。皆さんと早く再会したかったです。

また、今回の災害により被害を受けられた方々に、心からお見舞い申し上げます。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族やご友人を失った皆様に、謹んで哀悼の意を表します。
この出来事がいたずらに風化せず、後々まで語り続けられる素晴らしい変革の契機とならんことを願っております。

さて、今回は震災後初めてのメルマガである以上、ここに触れずにはおけない気がします。
そこで今回の震災がキャリアデザインにどの様な影響を与えるかについて、私が考えた事を皆さんに読んでいただこうかなと思いました。よろしければ少々お付き合いくださいませ(長いっす!)

皆さんの人生にこの震災がもたらしたインパクトはどの様なものがあったでしょうか?

私は幸いなことに深刻な事態に至ることはなかったのですが、それでも、仕事先から何時間もかけて帰宅のために歩き続けたり、相次ぐ仕事のキャンセルで1ヶ月以上の空白期間(もちろん無収入でっせ)を味わったり、放射能の恐怖を実生活で体感し、知人・ネット・メディアから流れ続ける被災・原発事故情報を日々受け留め、様々な体験を通して人生の様々な面について深く考える事ができました。子供のこと、家族のこと、仕事のこと、仲間のこと、生活のこと。ここで考えた事は今後の人生に大きな影響を与る原点のひとつとなることでしょう。皆さんにも私と同じ様な日々を過ごされた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?

ここ最近に関しては、まるで震災が無かった様に、日常の動きに「戻ろう」「戻ろう」とする力が強くなっているのを感じます。当然、そのことは悪いということではありません。社会が安定を取り戻す事と経済活動の回復は非常に重要で、状況的にも強く求められている事でもあります。ストレス高い生活をし続けた人は慣れ親しんだ安定を、意識的にしろ、無意識的にしろ、求めるのも自然なことです。

ただ、こういった安定に向けた反動の作用には注意を向ける必要があると思います。なぜならば、たとえ一見しただけでは元の状態に戻った様にしか見えなくても、それは元に戻ったわけではなく、実は今までと異なるフェーズに移行しているケースがあるからです。我々は、こういった感じにくいが後々に決定的な差異をもたらしかねないトピックに敏感にならなければなりません。その様な鋭敏性がその人の人生に質的な差を作っていくのだと思っています。

今回は、震災とその後の騒動が契機となって起こっているキャリアのトピックを3つ取り上げてみます。

一つは『日本がリアルに危機を体感したこと』、二つ目は『人生において意思決定の場面が増加していること』、三つ目は『社会基盤の不安定・不確定さが明白になったこと』です。

先ず一つ目からですが、今までの日本で「理性的に推測すると日本は危機的状況だろう」という言葉はそれなりに語られていましたが、実際に危機を強く体感する場面は日常に殆どなく、ある意味、『ゆでガエル現象』となっていたと思います。「いずれ日本は活力を失って徐々に衰退していくんだろうな」と思いつつ、でも多くの人は特べつに変革の為の行動をするわけでもないという日々が続く状況だったのではないでしょうか。

でもこの震災は日本の危機をリアルに感じる契機になりました(東日本以北だけかな。。)。なまじ体感できない危機というやつは本当に対処が難しいのですが、我々は今回その危機を強いインパクトをもって体感しました。何かが変わるとしたら今がその時期なのかなと私は思います。そして自らを大きく変えていく人々が(主流になるとは言いませんが)今後確実に増えてくると予想しています。さて、天はトリガーを引いた気がします。皆さんはどうしますか?

二つ目に思うのは、3.11以後は、日常身の回りで意思決定をしなければならない局面が非常に増えているということです。「電車をあきらめて歩いて帰るか」「普通に生活するかこもるか」「家族で一緒にいるか妻子だけ逃がすか」「子供に与える水食料をどうするか」「仕事を通年計画通りにやるか」「政府や東電を信じるか?理由は?」とてもとても書き出しきれません。以前の生活であれば決断せずにうやむやに後ろ回しにできたものも、その場その場で逃げずに意思決定することが求められます。この時代この局面、何かを判断する時の絶対解は存在しません。間違っているかもしれないけど、自らが何らかの理由に基づいて自らの意思でとにかく決定していかなければなりません。そしてその為には、自分自身の中に人生を判断するための軸、基準をしっかり作りこんでおかなくてはならないのです。震災以降、意思決定の機会はより増えています。そしてその意思決定の質は皆さんの人生の質を変えるでしょう。皆さんは人生・キャリアを渡っていくためのぶれない軸を作り込んでいらっしゃるでしょうか?

そして、三つ目の社会基盤の不安定・不確定さが明白になったこと。
日本の社会インフラに揺らぎが生まれるなんて誰が思っていたでしょうか?
「インフラである、電力網・交通網・水道・サプライチェーン(・情報システムも?)が大事なのは分かるけど日本は長期間安定していて、インフラの存在意義って言われても正直リアルにはピンとこないよ」日本はそういう社会でした。企業にしても時間経過に基づく栄枯盛衰は当然ありますが、ある程度の規模の会社は比較的安定した経営を積み重ね、怖いのは間もなく来るらしいグローバリゼーションの波かなといった具合。

この様な前提においては、キャリアデザインのアプローチも、あえてざっくり表現すると、「この安定した社会の中で、個人がいかに機動してより自分らしい人生をおくるか?」という観点のものがメインストリームでした。いうなれば安定した社会を泳ぐ技術としてのキャリアデザインだったので、これもざっくり言うと、自己分析して自分らしさを特定して個人の夢を真直ぐに追求して行きましょう!的なやり方で良しとしていたと思います。でも今回の事態で、我々が安定的要素とカウントしていた社会環境の脆弱さを目の当たりにしてしまったわけです。どうやら我々は、この考慮する要素を絞った、やや単純化したキャリアデザインのやり方を少し見直す必要がありそうです。意識すべき視点をより広く、より深く考えていかなければならない気がしています。

実はこういった事は以前からも語られてはいましたが、それには思考する力が強く求められるので、多くの人は自身のキャリアをきちんと考える事を放棄して、より頼りがいのある組織・企業に所属して日々の仕事を一生懸命こなす事で自動的にキャリアを安定させるという戦術を取りました(私も!)
ただ、この戦術はもう機能し難くなっています。大樹に寄ろうとしても根っこがグラグラしていたりして実は不安定極まりない木(組織)がいかに多い事か。。(今回の東電さんを見てどう思われますか?彼等は何十年も超安定企業として認知され、優秀な学生しか入れないエリート集団として君臨していたのですよ。ポテンシャルのない人はいなかったはずです)。バブル期入社の私からしたらまさに想定外な時代としか言いようが無いくらいです。

変に安定しきった茹でガエルの社会においては『想定外は来ない』という考え方がまかり通っていましたが、今回我々は『想定外は来る』という事を、また『想定外という思考停止がいかに危険か』を身をもって知ってしまいました。我々はこの思考停止から抜けてきちんと考えるという事が本当に重要なのだと意識する事になりました。
我々は、不安定な社会を生き残るために、深い思考をもって多様な角度から自身のキャリアを考察しておかなければならなくなるでしょう。

さて、私が考える震災以後のキャリアデザイン上のトピックスは3つでしたが、いかがだったでしょうか?

大変長々と書いてしまったわけですが、キャリアデザインに際して震災以降から特別に新たなものが加わるわけではありません。私が挙げたこれらの観点は、しっかりとキャリアデザインをされてきた方は既に折り込んで考えていた要素でもあるのです。
ただ、これからは、本質的なキャリアデザインをする事が、皆さんにとってより必要と思われる時代になっていくだろうと私は考えています。(実はそういったニーズを感じている方がもう実際に増えてきています)

もう一つだけ加えて言うと、『キャリアとその人の人生がより近くなる』といいますか、より双方が統合されたものとして扱われることを人が強く求める様になる気もしています。

皆さんは、震災以降、自分のキャリアの在り方に揺らぎは生まれていませんか?見つめ直す必要は感じていませんか?一度、時間をとって、考えてみてはいかがでしょうか?意義深い時間になるかもしれませんよ。


最後に、最近クライアントや知合いからもらった、『この震災が契機となって考えたキャリア』についての言葉をシェアさせてください。

「もう以前の様にマシーンのごとく日々与えられる仕事をただ黙々とさばく生き方はできないかもしれません。自分の人生と仕事と会社の関係に明確な意図を持って過ごしたいんです」

「今回の震災で身の回りに色々なことが起きました。でもそれを通して自分がライフやワークでやれることが実はかなりあるし自分はそれをやりきれる能力があるんだということに気づきました」

「こんな毎日が不安な状況でも、子供を預けて仕事に行かなければならない自分がいる。正直そんな生き方どうなのかなとも思った。でもどうせそうすると決めたのならば、子供に胸をはれるような仕事をしなければと思いました」

キャリアがより人生と強く結びついた話が様々な所で聞こえてきています。

そして、これは電通の社員の方で現在被災地にむけた支援活動をされている方が語っていた言葉です。

「昔はこの様な事があると、何々会社として何をすべきかが語られましたが今は違うと思います。今は自分が社会や時代に対して何をしたいと思いそれを自分の所属している組織でどの様に実現するかを考える時代なんだと思います。実現の仕方はなんだっていい。組織で出来なければその分を個人で他で補えばいい。決めるのは自分です。だから僕は会社がどうかではなく、この人が何をしたい人なのかで、組むかどうか決める事にしています。」

昔でも同じ発想の人はいらっしゃったとは思います。ただ、意思決定の主が自分という個にあり、自分という個が何かを成し遂げるために場に働きかけていく。決して場からの刺激で動くのではなく自分が刺激して場を動かしていく(そして、活性化した個が個に閉じず、再び良質なコミュニティを形成していく流れも起こる)。私が理想としているキャリアの在り方もここにありますし、3.11後のキャリアデザインでより多くの人がこういったキャリアの在り方を模索することになるのではないかと考えた次第です。

追伸1:
東北で被災にあわれた方の中でキャリアを再開されている方が出始めています。工場で働いていた方が、ラインが再び動き始めた時に見せる活き活きとした顔、漁師の方が、漁再開のために手に入れた船を見つめる時のやる気に満ちた顔、人は仕事を取り戻した時に人としての強さを取り戻す事もできるのだなと改めて感じました。聞くところによると、今被災地で近頃最も望まれているものは、支援物資や支援金、ボランティア以上に、仕事だそうです。

追伸2:
現在、サービス再開直後で予約が混んでいる状況が続いており、皆さまにはだいぶご迷惑をおかけしておりますが何卒ご容赦ください。新規のお申込みも多く、自らのキャリアライフをしっかり考えたいという想いが尽きることは無いのだと改めて実感すると同時に、その様な想いをしっかりと受け止めてサポートできるよう日々研鑽して参ります。

何かご要望や質問ございましたら、お気軽にお問合せくださいませ。

以上です。

それでは皆様、また会いましょう!

2011.3.13追記
本内容は少し前に記述したものですが、既に時勢的にやや鮮度が落ちている印象があります。
人の意識の移りやすさは恐ろしいものです。
今回の事を風化させない心を保てますように!


2011年4月27日水曜日

3.11後あれこれ

3月11日に起こった地震より1ヶ月半経過しました。

地震や関連する騒動のショックにより、社会経済及び企業活動の自粛ムードが起き、
色々な事業に関わる小規模事業者は干上がった状態になってしまっていましたが、
まもなく5月になる今日この頃、入ってくる案件もだいぶ本格的回復に向かってきていると実感しています。

案件の戻り具合を見ると結構興味深いものがあります。

私は最近は企業向けの教育ソリューション(まぁ研修)と企業のトップからミドル向けのコーチング、組織変革・活性系のサポートが仕事の大部分なのですが、

トップ向けのコーチングは、震災対応のドタバタが収まると通常通りに動き出しました(セッションの中身は総じて深い内省に至る場合が多くなりました)。

組織変革・活性系のサポートも、ドタバタ収集後すぐに事前着手の動きが活発化してきています(3.11以前よりもむしろニーズは大きそう)。

ミドル向けのコーチングはケースバイケース(私のクライアントは平常になっている)。

一番帰りが遅いのが企業研修の分野、若手向け施策といった具合です(会社さんによっても濃淡あるそうですが)

これには色々な解釈の仕方があるのでしょうが、

私は(あくまでも)個人的に、

「本当に経営に必要と思われている度」

なのかなと感じてしまって、キャリア的に色々な気持ちが心をめぐった一ヶ月半でした。

震災対応で忙しくても時間を作って思考を練る経営層、リーダーの方々にリスペクトを覚えつつ、

「(でも研修や若手向けの取組みにも、同じだけの必要性を感じ情熱を注いでいるんだけどなぁ。。)」

「自分のキャリアの今後をどこにフォーカスしていくべきなのかな?」なんてね。

まぁ、繰り返しますがこの現象には様々な理由が考えられますから一方的な主張をし過ぎないように気をつける事と致しましょう。

ついでなので、
空いた(空き過ぎた)時間に、仕事と関連してきそうな環境変化と仕事への直接的影響なぞもつらつらと考えました。

そのなかでとても心に残ったのは、
①ここが日本に関わる色々な変革の分岐点となる?
②今回の災害に絡んで新しいパラダイムの芽を持った人が多く現れる?
③キャリアデザインにおいて、生き方がより重要なテーマとして扱われる?
④社会の公器としての企業のあり方をより深く考えなければならない時代に?
という点でしょうか。

一個一個は深く言及しませんが、なかなかに自分のキャリアに大きな影響をもたらしそうなインパクトを持っていそうです。(これからが楽しみですな)


追伸

ちなみに、ここで上げた考えですが、日本全土に適用できるような話ではないとも言えるでしょうね。

色々な友達と話をすると、西日本は少々3.11の受け取り方に東日本と温度差が多少ありましたし、神戸震災を体験されている方は非常に多様な受け取り方をされていました。

総じて均質均等がグローバル的な特徴だった日本も色々な差が大きくなって行くのでしょうか。。

2011年3月18日金曜日

偶然出会ったおばあちゃんとの会話で思った事

昨日、近所をぶらぶらと歩いておりました。

この地震の影響で仕事に絡むアポがまぁ見事なくらいに吹っ飛んでしまい自宅作業になってしまったのですが、一人で粛々と作業ができるタイプでは無いので様子を見に外出したわけです。

スーパーに顔を出しましたが、噂に聞いていた通りにコメと卵が一切ありません。
災害の影響を殆ど受けていないので流通は比較的確保されやすい新宿なんですけどね。ここは。

どうやらこの動きの主役は老人の様です(勿論例外はあります)。北新宿は老人が多いのです。
自分は「彼らはピュアな生存本能に揺さぶられているのかなぁ」なんて思っておりました。

帰り道、道の途中で立ち往生しているおばあちゃんがいました。どうやら荷物が多くカートが引けなくなっている模様。別に急ぎでやることも無いので、自分がカートをひいておばあちゃんの家の前まで送ることにしました。

荷物をよくみると、お買い物したものが大量に入っている。

「うーむ、この婦人はあの買い占め系の一人なんだな」と心でそっとつぶやく。

「昨日も朝早くから並んで大変だったんです」と晴れやかに一仕事終えた満面の笑みでおばあちゃん。

「うーむ。微妙な気持ちありで、この笑顔と対等の笑顔は返せんなぁ」とまた心内でつぶやく自分。

でも道すがらおばあちゃんが色々と語る話を聴いていて、少しづつ自分の心境に変化が起こり始めました。

彼女は娘と孫の3人家族。彼女の担当はおそらく家事。彼女には自分の生にしがみつく表情は感じられない。自分の話はしないで家族の話ばかりしている。
どうやら、彼女はこの危機に際し自分が家族のためにできる明確な使命と判断してこの行動をとっている様です。(仕事柄、使命感を感じ活き活きとしている顔はよくわかる)

家の前まで着くと彼女は私の顔をじっと見て、
自分の名前と住んでいるマンションの部屋番号をはっきりと伝え、
「何かあったら是非来てください」と言いました。

それは、せっかく知り合いになったから遊びに来いといったニュアンスではなく、困った事があれば頼って下さいというメッセージでした。
そこには弱い者がサポートを受ける様ではなく、お互いに助け合いましょうというスタンスが示されておりました。(サポートを提案してもらった私の方が恐縮してしまいました)

こういう事態での買い占めは良い事ではない。それは間違いない。
でも人は自分の知り得る世界観(メンタルマップ)で最適行動を取っている。買占めをする人の心理を単純化して非難するのはよそうと心に思いました。

少なくとも僕の出会ったおばあちゃんは利己的な生への妄執で買占めをしていたわけでなく、自分の感じ取れるコミュニティエリアへの愛が動機でした。一つの犠牲行動でもあるわけです。手段は問題あるかもしれないが、彼女の愛を非難するのはフェアでないなと思いました。

願わくば、そういった動機で動かれている老人(少なくない気がします)のファミリーの方々には、彼らの動機の純粋な部分に感謝と愛を十分に伝えつつ、「そんな事しなくても大丈夫だよ。いざとなったら自分が体張るからね。ありがとうね」とやさしく言ってあげてくれるとうれしいです。


地震からもうすぐ1週間たとうとしています。早いものですね。ただ、未だに災害は現在進行形で存在しており、過去の事にはなっていません。僕は今感じている、大事だなと思っている事をできるだけ長期間忘れないでいようと思っています。

2011年2月2日水曜日

5年目突入!

会社を辞めて独立してから昨日で満4年。

本日(2/1)から5年目に突入でございます。

知り合いにこの話をすると、

「もうそんなにたちますか!」と殆どの人に言われます。

私にとっても、あっという間な感じです。

でも振り返るとあんがい色んなことがありました。

独立するなり娘ができて親になっちゃったり、いきなり痴情絡みの踏み倒しに会ったり(ちなみに僕の痴情じゃありませんぜ(笑))、仕事のポートフォリオも多様になってきたり、昨年は自己ビジョン(&働く意味)にも変化が起きたり。。(この4年間で感じたことを改めて整理してそのうちブログにのせますな)

受講者やコーチング等で私がアンケート等で把握できている人数で言えば、少なとも1500人以上の方と交流することができました(この仕事では決して多いとは言えませんが。。)。

色々はありましたが、仕事とクライアントと仲間にこの4年ずーっと恵まれていたと思います。

感謝、本当に感謝です。

自分はこの恩義に対して期待された成果をお返しできていたでしょうか?真摯に振り返ってみたいと思います。

それでは皆様こんごともよろしくお願い致します。

2011年1月23日日曜日

ソーシャル・キャピタルを引出す若者

昨日、今日と偶然に非常に心地のよい若者に会いました(若者と言ってもそこそこ年ではありますが)。

一人は女性、一人は男性。世代も人生経験もばらばらで共通点はありません。

特徴的な共通点は、相手への配慮(偽物くさくない誠意・誠実さと言ってもありかな)、知的好奇心が高いといった感じでしょうか。

それ以外にも奥底に色々とポイントもありそうです。
(例えば、相手の話と自分の体験をつなげて直ぐに使える次のヒントにしようとする姿勢とかね)

まっ今日はそういう資質を論理的に説明する意図では無いので軽く流すとして、

最近、年齢も増えてどうひっくり返っても若者とは言えなくなってわかってきたことは、社会が蓄積している関係性資本(人脈とか知恵等々これをソーシャル・キャピタルって言うそうですが)を手に入れやすい人と手に入れにくい人が存在しているなぁという実感です。

人に心地のよい印象を与える若者もそういう人の一人だと思います。

なんか見返り無しにサポートしてあげたり知恵を貸したくなるんですよね。

人にそういう気持ちにさせる事で得ることができた大小のものの積み重ねは相当なメリットを人生にもたらすのでしょうね。

(とはいえ、それを打算づくでやってもうまくいかないものだのですが)

ちなみに私はそんな若者で無かったです。

加えて、今、自分がサポートしたいと思ってもその若者達はNo Thanksと思うかもしれませんがね。

わっはっは。