2011年3月18日金曜日

偶然出会ったおばあちゃんとの会話で思った事

昨日、近所をぶらぶらと歩いておりました。

この地震の影響で仕事に絡むアポがまぁ見事なくらいに吹っ飛んでしまい自宅作業になってしまったのですが、一人で粛々と作業ができるタイプでは無いので様子を見に外出したわけです。

スーパーに顔を出しましたが、噂に聞いていた通りにコメと卵が一切ありません。
災害の影響を殆ど受けていないので流通は比較的確保されやすい新宿なんですけどね。ここは。

どうやらこの動きの主役は老人の様です(勿論例外はあります)。北新宿は老人が多いのです。
自分は「彼らはピュアな生存本能に揺さぶられているのかなぁ」なんて思っておりました。

帰り道、道の途中で立ち往生しているおばあちゃんがいました。どうやら荷物が多くカートが引けなくなっている模様。別に急ぎでやることも無いので、自分がカートをひいておばあちゃんの家の前まで送ることにしました。

荷物をよくみると、お買い物したものが大量に入っている。

「うーむ、この婦人はあの買い占め系の一人なんだな」と心でそっとつぶやく。

「昨日も朝早くから並んで大変だったんです」と晴れやかに一仕事終えた満面の笑みでおばあちゃん。

「うーむ。微妙な気持ちありで、この笑顔と対等の笑顔は返せんなぁ」とまた心内でつぶやく自分。

でも道すがらおばあちゃんが色々と語る話を聴いていて、少しづつ自分の心境に変化が起こり始めました。

彼女は娘と孫の3人家族。彼女の担当はおそらく家事。彼女には自分の生にしがみつく表情は感じられない。自分の話はしないで家族の話ばかりしている。
どうやら、彼女はこの危機に際し自分が家族のためにできる明確な使命と判断してこの行動をとっている様です。(仕事柄、使命感を感じ活き活きとしている顔はよくわかる)

家の前まで着くと彼女は私の顔をじっと見て、
自分の名前と住んでいるマンションの部屋番号をはっきりと伝え、
「何かあったら是非来てください」と言いました。

それは、せっかく知り合いになったから遊びに来いといったニュアンスではなく、困った事があれば頼って下さいというメッセージでした。
そこには弱い者がサポートを受ける様ではなく、お互いに助け合いましょうというスタンスが示されておりました。(サポートを提案してもらった私の方が恐縮してしまいました)

こういう事態での買い占めは良い事ではない。それは間違いない。
でも人は自分の知り得る世界観(メンタルマップ)で最適行動を取っている。買占めをする人の心理を単純化して非難するのはよそうと心に思いました。

少なくとも僕の出会ったおばあちゃんは利己的な生への妄執で買占めをしていたわけでなく、自分の感じ取れるコミュニティエリアへの愛が動機でした。一つの犠牲行動でもあるわけです。手段は問題あるかもしれないが、彼女の愛を非難するのはフェアでないなと思いました。

願わくば、そういった動機で動かれている老人(少なくない気がします)のファミリーの方々には、彼らの動機の純粋な部分に感謝と愛を十分に伝えつつ、「そんな事しなくても大丈夫だよ。いざとなったら自分が体張るからね。ありがとうね」とやさしく言ってあげてくれるとうれしいです。


地震からもうすぐ1週間たとうとしています。早いものですね。ただ、未だに災害は現在進行形で存在しており、過去の事にはなっていません。僕は今感じている、大事だなと思っている事をできるだけ長期間忘れないでいようと思っています。

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