2012年12月5日水曜日

一人合宿のまとめ



早いもので一人合宿からもう一ヶ月たとうとしています。

いまさらっぽくもありますが、整理して記録を残しておくという意味でちょっとまとめておきます。




場所:

沖縄北谷(4泊)


プロセス:

①最初に今合宿の大テーマを置いて、

②昨年(前回の合宿で決めた内容、およびその実践)の総括をし、

③そこから改めて浮かんできた重要テーマを考察

④考察して出た結果を統合し行動指針レベルに落としておく

(アクションアイテムまではいきませんでした) 


ツール等:

・考え付いた内容を片っ端から付箋紙に書いて部屋にペタペタ張り(当然怒られたくないのでメイクルームは断り(笑))、

・重要なアイデアに「イイネ」シールを張ってみたり、

・時々携帯端末にデータに起こして外に場所を移して海見ながら内省

・マインドマップを作成してみたり





使用テクニック:

・ほぼセルフコーチング(U理論テイスト)、

時々、
・システムシンキング、

・ポジティブアプローチ(AI)、

・NLP、

・よくある経営戦略策定アプローチ各種

また、今年は新たに迷走、いや、瞑想も取り入れてみました(なんちゃって瞑想ですが)。

(瞑想の効果は正直なんとも言えないのですが、今年の合宿は今までに無いくらい自分のつらい面や葛藤と向き合うことになりそのせいで合宿の半ば迄は心や思考が乱れてなかなか集中できなかったので、瞑想は集中を取り戻すためのきっかけになってくれたのではないかと思います。知合い曰く、「瞑想は、頭や心のデフラグみたいなもの」らしいです)


起こったこと、感想あれこれ:

・結果的に、昨年の合宿で策定したビジョンに大きなブレを感じなかったので、過去と未来をセンシングして(ゼロベースで深く見つめ)、今までの自己定義や行動原則を見直してバージョンアップするという流れになりました

・昨年の合宿で出た、『自分に本当に重要だと思うこと』に意識を置いて一年を過ごせたせいなのか、この一年の仕事の実践で得た経験はポジティブなものもネガティブなものも合わせて全て、今後の生き方に重要な示唆を与えてくれました(濃い一年を過ごせた様です。感謝)

・昨年、しっかり考えて作ったつもりのビジョンや行動原則も、実践を通す事でその不完全な部分が明確になり、改めてチューニングのニーズが浮上しました。(実践の大事さを改めて実感。やはり実践が空論をリアルにするってことなんでしょうね)

・初日、二日目は自分の未熟な部分や負担に感じているものに焦点があたって、重苦しい展開で、集中力が持続できなかった

・(クリエィティブモードの)プチゾーンは日に2,3回。大きい波は3日目になってようやくきました(total3回ほど)


合宿の中で気づいたこと:

上記と繰り返しになりますが、自分らしい(仕事)人生をおくるためには実践が本当に重要だとつくづく思いました。実践を通して、ぶれにくい自分だけの道しるべを手に入れることができます。(私は若年キャリア期において、本当にここが弱かったです。。)

但し、その実践に際しては、予め何らかの形で自分の意思(哲学・理念・想い・持論・行動指針・ビジョン・戦略・仮説等々)を持っておくことが、実践からのフィードバックの質を格段に向上させることと繋がるなと思います。

今さらではありますが本当にリアルに感じました。


1人合宿の弱点:

(私いわく)大おすすめの1人合宿ですが、以下の弱点も感じています。

・他者との相互触発の場が持てない

時に思考停止になったり、思考の拡張がうまくいかない時があります。

そして、さびしいです(笑)

(特にご飯の時が。。)

・慣れてないと最初は精度が低いかも

持続してチャレンジすればどんどんレベルが上がっていきます


合宿で浮上したキーワード:

今回の合宿ではいくつかのキーワードやセンテンスが出てきました。

『「仕事に爽快さと楽しさを感じながらも、同時にその圧倒的な奥深さに畏敬の念を持てている」状態で日々を過ごしている』

『仕事の実践や他者との関係性の中で起こる揺らぎを大事に扱い、それを超える視座を見出す』

『イライラするのは誰かに決断を委ねているから。他責にするのはお門違いだな』

『「求道者としての自分」と「ダンスパートナーとしての自分」、双方活かせばより良い成果が生まれる』

『踏込んでそこから得られたフィードバックは、ポジティブだろうがネガティブだろうが自分を成長させてくれる重要な示唆になる』



悪くない合宿だったかな。。



追伸:

このところ、「よくブログ見ているんですよ」とけっこう言われております。。

なぜ今頃?

「くらっ、おまえ、読んでやってるんだから、もう少しまめに書かんかい!」ってことかな

ちゃんと更新せねばいけませんねぇ。。

「えっけいさんのブログって案外笑えますよね」というコメントも複数いただきました。

仕事に絡んだ真面目なブログなつもりなんですがね(笑)




































2012年11月8日木曜日

一人合宿最終日(2012秋)


本日は実質的な合宿最終日です(明朝に帰ります)。(前日の内容はこちら

有難い事に、3日目にしてようやく大きなゾーンが訪れました。

実は昨日の夜から朝のまどろみまで、「コストと時間かけて大きな成果出せなかったとしたら駄目だなぁ」と落ち込んでいたのです(真面目でしょ?)。

でも、ベッドから起きてみると何気に頭がスッキリとした感覚があります。「おっ、もしかしたらいけるかも?」と思い、昨日までやっていた散歩と朝飯に行くのを止めて、いきなり本題に取組む事にしました。

すると、今までの一人合宿でいい感じの時に起こる、付箋紙に書かれた問いに対する考えがスルスル出てくるモードになってくれています。

こうなるとしめたものなので、一気呵成に前日までに出して置いた、「問い」に対して頭から出てくるものを付箋紙に書き殴りました。

今日まで大きなゾーンの波が来なかったのはどうやら、向き合うのに重めな問いに対して、思考的に深く潜っていたからなのかもしれません。でも、今日は深く潜った分だけ浮かび上がる力が非常に大きい感じがしました。

このゾーンモードには満ち引きがありますが、大波がtotal3回来てくれました。
(今、精尽きて、泡盛やりながらメシしとります)

一番インパクトがあった気付きは、自己定義を
「プロのダンスパートナー」と置いた点でしょうか。。

何故インパクトが大きかったかと申しますと、

昨年の合宿で出て来た方向性が「どこまでも深く考え抜く10年を過ごそう」だったのです。
言ってみれば求道者的な個として、自分を磨き上げて極めようとする自己定義だったわけです。

ただ、この自己定義で一年やってきてみて、何気にこれの反動が大きくて、色々と悶々としてしまっていたのでした(この点をクリアにしようと思ったのがこの合宿の動機の一つでもありました)。

面白いもんです。
今回はかなり対極的な自己定義が上がって参りました。

それではこの対極的な両者をどう扱うかですが、結論としては、
リプレースでは無くて、両者を共存させましょう!という事になりました。

自分という個においては求道者的であり、他者と対峙する際にはプロのダンスパートナーであれという事でしょうかね。

前回の合宿からのこの一年は、どうやら求道者的に思考で煮詰めたものをいきなりクライアントやパートナーに突き付けていたので色々な問題が起こっていたという状況の様です。そのせいでバランスを欠いていたと。。

この合宿での思考は、なかなか面白い方向性になったのかなと思います。

明日は早々に沖縄を発つ予定です。

さぁ、今夜はがっつりと酔うかな(笑)

2012年11月7日水曜日

一人合宿にきております!(2012秋)

いま一人合宿(言語矛盾です。。)に来ております。
目的は、実は今回明確なものがありません。昨年は伊豆の一碧湖でやったのですが、その際の目的は明確で、(年とってから小さい子供が出来たので、)『如何に年取ってもちゃんと稼ぎ続けられる状態を作るか?』でした。(合宿の結果、予想外の結論に到達しましたがね)。
ところが今年はその様なもの出ていないのです。ただ、なんか「きちんと腰すえて考えないで現状を放置したらやばいぞ!」と心の声が日々消えなかったのです。

業績自体は、今期、色々な方との良いつきあいもあり、お陰様で好調ではあるのですが、そんな時だからこそやる必要が有るのかなと。。そもそも、自分は肝が太く無いし、不調の時は合宿ドコロじゃ無くなるのは間違いないので、余裕があるうちに次の戦略を練るというのが今までの経験からの成功パターンなのです。

加えて、この1,2年での仕事の実践、先達からの質の高い教えをいただいた事等もあり、今までの自分を大きく変える(メジャーチェンジの)必要があると痛感している日々でもあったのです。

今回、家族が快く支援してくれたので長め(4泊)に設定できました。(相当妻に恩義が出来ました。<それが狙いか!>)

場所は、沖縄北谷の海辺のホテルです。
以前にも何度か言及していますが、私の一人合宿の王道の場所は南の海なのです。

最初のきっかけは、会社員時代に休暇で行ったフィジーでした。当然、ゆっくりするつもりで行ったのですが、なぜか頭がゾーンに入ってしまい大変効果的なキャリアデザインができてしまったのです(作った時には妄想レベルの夢物語に感じたのですが、なんとその時に考えたことが予言の様に4年後にほぼ実現することになりました)。
それ以来、あの時の夢のクリエィティブ状態が再現したくて、チャンスがあるたびに南の島で一人合宿をしていたりするのです。
(ちなみに、南の島で頻繁に合宿するのはお高くついてしまうので、もう少しコストを下げられないものかと、箱根温泉と伊豆一碧湖でも実施してみたのですが、悪くは無いがゾーンが来ない、理性的な良好さに留まりました。南の島では、タヒチ、沖縄で検証しましたがゾーンにあふれるかなり満足な内容でした。。うーん高くつく。。)

今回の宿は、ベストではありませんがなかなか良い条件です。今、3泊目。

まずまず生産性は高く良い感じですが、まだ理想の状態には至っておりません。

想定外なのは、
今までの南合宿 では、考えている内容にモチベートされまくりワクワクしながら思考が進んでいくのですが、結構、重いものになったりしています。自分が密かに隠したり目を背けていたネガティブな心理エッジと対峙している感じになっております。。
その重さからでしょうか、爆発的な思考のゾーンが来ておりません。。本日は時々集中力が落ちたりもしておりました。うむむ。。

もしかしたら、晩秋の沖縄は常夏ではないということもあるかもしれません。今回この季節の来訪は初めてだったのですが、海からの風が冷たく、南国特有のまったりした感じがありません。伊豆房総風味といったところでしょうか。(当然ですが現地の方からしたら非常に過ごし易い理想的な季節ではないかと思われます。この沖縄が駄目だと言っているわけではありませぬ)


どうやら南国のほわーっとした感じが私のゾーントリガーの様です。(全く面倒臭いこと。。)
全面的に安心できるのでしょうね。以前分析した時には、南の海が母親の受容を表しているのかもしれないと思いました。本当に注文多いですねぇ。。


そうは言いながら、収穫はそこそこ出てはいますよ。
現在までに、湧き起こった気づきのおかげで、ここ数ヶ月悶々としていたものがガラリとクリアされた
(想定外のリフレーミングが起こり認知が180度変わりました)り、自分にとって、とても大事な仕事の基準がいくつか明確になったり、現状の悪さの原因を他者帰属していましたが実は自分の問題であった事にも気づきました。

明日まる一日考える時間が残っております。さて、どの様な最終成果が出るでしょうか。。ちょっとどきどきかな。




2012年8月15日水曜日

どんな時にプロとしての自覚がつきましたか?

(注:本内容は某社で実施している1:1のキャリアコーチングサービスのクライアント向けに発行されたメルマガの内容のロングバージョンです)


皆さん、こんにちは。キャリアコーチの野口です。

毎日暑いですね。私は今年の夏は意識的にゆっくりと仕事をしています。
(昨夏は仕事頑張りすぎて疲労で秋の仕事の質が下がってしまったのでその反省です)
みなさんも本格的に仕事が進む秋になってパワーダウンしてしまわない様に気をつけてくださいね。自立した仕事人にとって大事なのは無理することではなくて、良いパフォーマンスをコントロールして出し続けられることですからね。
それじゃ本題です。

私はもう6年ほど当社の五年次社員の節目研修(キャリアデザイン)の講師をしているのですが、パネルディスカッション形式でプロフェッショナルCDP認定者からキャリア形成のヒントを学ぶコマがあります。(私も2度ほどファシリテーションをさせていただきました)

私のファシリテーションの腕が良かったかはさて置き(あら、そこ置くんだ?と突っ込まないでくださいまし)、その中で、ある共通パターンが浮かび上がってきました。それは「どんなタイミングでプロとしての自覚が芽生えましたか?」という問いに関してです。
(ちなみに当社の人事教育からの若手へのメッセージとして、「プロになってください」ということがここ10年以上一貫して発信されています)

当初、私は彼らから多様なパターンのプロ自覚ストーリーが紹介されるのを予想していたのですが、彼らのタイミングを総括すると皆同じものでした。
皆が一様に語ったのは、『プロジェクトorある独立した責任領域(開発・営業・研究開発等分野は様々)の実質的責任者としてステークホルダーの前面に立ってこれを遂行した時(もしくはその後)に自分は@@におけるプロなんだと自覚した』というものでした。

「公共系大型新規案件の先頭に立ち、利害の衝突するステークホルダーを調整して、受注した」

「高難度案件で、技術者の立場を超え責任者としてお客様の前面で全ての利害調整をし成功させた」

「自分が企画し開発した技術を、その顧客向け導入責任者として社内外をまとめあげて完遂した」

「提案したコンサル案件の責任者として、社内の支援が少ない中、顧客のメリットを追求し高い評価を得た」  e.t.c.

この様なものが挙げられていました。

これをみて「案件を責任者として遂行するとプロの自覚が出るの?そんだけ?そんなら私だっていつも責任感を持って仕事をしているんだけど。。」とか「自分はプロジェクトの責任者として仕事した経験があるけどプロの自覚は芽生えなかったなぁ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。私も聞いた当初は「案外シンプルだな。。これを持ってプロ自覚のためのヒントと言えるかな?例外もあるのでは?」と思ったものですが、よくよく考えるとやはりこれは重要な示唆かなと思えてきました。
ただしこの経験には、パネラーからは語られていませんが、いくつかの要素が内包されている様に思われます。

  その案件の落としどころが着手時には明確ではない
答えや明確なゴールが見えている案件を粛々と遂行するのとは違うようです。たとえばあるプロジェクト案件をPMとして責任感を持ってただやりましたではどうやら不足なものがありそうです。「答えが見えない中で答えを探してもがく」という要素が重要なのかもしれません。

  自分の能力の限界と対峙してそれをなんらかの形で決着をつけた
これも「自分ができることをやる」のとは違いそうです。「自分の能力ではできるかわからない領域に挑戦して決着をつける」というのが大事なんでしょうね。ちなみに決着と書いたのは能力開発できて成功したという結果でなくても、「もっと成長して同じような失敗は絶対しない」というような強く想いを持ったという結果でも同じような意味を持つようです。

  案件の責任者として自分以外の他者(ステークホルダー)と対峙している
「自分の領域はここまで。そこにおいては全て責任を負いますが、その範疇外はどなたか(営業・上司・会社等々)にお任せしまーす」という感覚とは違いそうです。「基本、本件の責任は(曖昧な領域を含めて)全て自分にあります」という位置づけで前面にたって対応するのがポイントの様です。

  顧客的な存在から案件を決着させたことを認めたメッセージを受け取る
その大変な局面をなんらかの形で乗り越えることができたと顧客的な立場の人からフィードバック等で承認される事も重要な要素かもしれません(検収という意味ではありません)。ちなみにこれは顧客的な存在であり必ずしも社外の顧客に限られない様です。社内の関係部署でも上司でも該当しそうです。もちろん社外の顧客の方がよりインパクトは大きいでしょうね。
(ただ、これは必須要素なのかは不明です。自分なりの手ごたえがあればよいかもしれません)

さてここまで要素を挙げてみてあることに気づきました。自分の中からつぶやきが漏れます。
「なんだかこれは修羅場の成長経験で挙げられる要素と似ているなぁ。。でも修羅場の成長経験ってだけでは、プロの自覚と直接にリンクしているとは言えないよな。だって、修羅場を通して成長した(前回の私のメルマガの内容)時でも自分はプロ意識つかなかったしなぁ。」

上記と比較して、私の場合は、①のゴールが明確だったのと③に甘さがあったという差異はありましたが、この他にもなんか+αの要素がありそうな気がします。そこで自分のケースや他の知り合いのケースも含めていろいろと考えて出てきたのがこれです。

『誰かに与えられた役割を全うするという意味だけでなく、自分自身の存在価値を証明するといった意味合いも案件にこめられていた』
この案件をやり抜くことが自分ごとにおいてもきっと意味があるのだと(意識的にしろ無意識的にしろ)感じている状態と言えるでしょうか。また当然ですが、これに付随する形で、
『自分の仕事における存在価値とは何かについての内省が前後で行われている』
というプロセスも内包されているような気がします(内省が事前か事後に行われるかはケースバイケースではないかと思われます)。

これが、修羅場における成長経験とプロの自覚を促した経験をわけるポイントではないかと私は思いました。

いかがでしょうか?今回はパネルディスカッションで話された内容に(かなり)自分流の解釈を加えてみました。りっぱな学者や著名有識者が語ったものではないので間違っているかもしれませんのでご容赦を。追加質問や反論もなんなりとどうぞ。

上記以外に、パネルディスカッションで浮上した内容で留意しておくと役立ちそうなものも挙げておきますね。

○何のプロ?
パネラーの、プロとしての自己定義は多様で面白かったです。「勝つプロ」「悩むプロ」「案件を動かすプロ」「負けず嫌いのプロ」パッと見では何を言っているのかわからないものが多かったです。この中で興味深いのは「プロジェクトマネジメントのプロ」「営業のプロ」「データベースのプロ」といった職業タイトルそのままの自己定義をされている方はいませんでした。
これは、(前にも書いたかもしれませんが)キャリアの確立には2種類の要素があって、一つは「課業の専門化」といい、他者(市場等含む)により客観的な指標で定義、確立された専門分野を磨くという行為と、「独自ドメインの確立」と呼ばれる、自分が優位性を発揮できるユニークな専門領域を確立するという行為の二つを併せ持つことが求められることとつながります。ある程度仕事で成熟されたパネラーの皆さんは後者を意識していることがわかります。

○プロ定義の変遷(バージョンアップ)
実は私はこれが一番面白かったのですが、パネラーの多くの方が最初に意識した自分のプロ定義が変遷をしているか、しそうになっている状態でした。

「自分は『セキュリティ分野においてプロ性を磨いていこう』と思っていたのですが、最近ビックデータとセキュリティの領域が非常に接近してきていて、最近自分は『データ活用のプロ』といった方が自分をよく表わしている気がしています」

「『システムを作るプロ』位に思っていたのですが、最近は『課題の本質探しのプロ』という気持ちになってきました」

「自分は営業として『(競合案件に)勝つプロだ』と思っていたのですが、最近は『当社の世界観を体感していただくプロ』と言えるのかなとも思っています」  等々

「自分は@@のプロである」と決めてその後決めた道をひたすら固めていくのではなく、一旦位置づけた後でもキャリア人生を経るうちにその定義が変化していくというのは面白いですよね。その変化は『元のものから異質なものに変わる』『他の分野も統合してより大きなものになる』『より上位概念にシフトアップしていく』等々いろいろとパターンが存在していました。
これらの話から、プロを自覚した後にも色々なプロセスが続いていくことがわかるので、(よく若い時に考えがちな)『どのプロになるかを時間をかけて探し続ける』よりも、『とりあえず何らかのプロとして自己定義をして、それを研鑽していく過程でバージョンアップさせていく』考え方の方がキャリアを考える上で有効なのではないかと私は感じました。


今回はこれにて。以上です。


2012年6月28日木曜日

モルディブ。ようやくモードきたか。。

家族の節目を感じ、長期休暇を取りモルディブに来ております。 通常、私はこのブログでも何回か書いておりますが、リゾートではなぜかインスパイアされることが多く仕事や今後のキャリアの方向性を考えるするのが大好物なのですが、なぜか今回はなかなか頭にゾーンが来ませんでした。 それもやむなしかと思っていたのですが、終盤にきて何となく頭が開いてきた感覚があります。説明難しいのですが、センシングや思考がオープンチャネル状態と申しましょうか。。 昨日までは、昼夜と寝まくっていたのですが、何故か今日は全く眠くありません。 ちょっとこの半年仕事が忙しめで頭にノイズが満ちていたのでクリアリングに時間がかかったのかもしれません。 ただ、まだわかりません。このままヘタれる可能性も多いにあり。ただ、しょうもない記憶や思い付きがポコポコ湧いてきています。さぁどうなることやら。。

2012年6月9日土曜日

あるPMとの思い出を振り返って





段々、暑くなって来ましたね。今年はどんな夏になるのでしょうか。私は大好きな海外サッカーリーグの季節も終わりややテンションが下がっておりますが、サッカー欧州選手権が始まりましたのでまだ宴は続く感じです。7月過ぎにはTVにかじりついている時間がすっぽり空くので何か有効な事に転用してみようかなと思っています。

本題です。

つい先日、当社社員時代に仕事でかかわりのあったPMがお亡くなりになりました。
その方とは独立してからあまり接触できませんでしたが、在籍時は気兼ねないおつきあいをさせていただいていました。実力と独特の個性を持っていてかつ大変愛嬌のあるキャラクターでもありました。当社との関係が間接的になっているため彼の死を知ったのはしばらくたってしまった後でしたが、大切な仲間を失った悲しい気持ちになりました。

ただ、そのPMと私の関係の始まりは、ある仕事を通してで、実は当時私はそのPMを大変恨んでおりました。

その仕事とは、私が営業(たしか56年目くらい)だった頃、当時全く入り込めていなかった難攻不落のお客様に、『レアな専門知識を持つSEが高額で常駐コンサルをする』という仕事を上司がとってきた事がきっかけでした。

なんと、信じられないことに上司はそのレアなSEとして私を放り込みました。
私は入社してSEを3年間やりましたが、性に合わずに実力もつかないまま営業に逃亡した経歴の持ち主で、再びSEに戻るなどとは全く想定もしていませんでした。加えて今回の専門分野(高度交換器制御システム設計)に全くの素人だったのです。当然そのありえないミッションに震えあがり必死に抵抗を試みたのですが、上司は「大丈夫。経験豊富なPMをつけてあげるから、その人の言う通りにすれば、全く問題無いから♪」とかるーく私を客先に放り込みました。

ところがいざ蓋を開けてみると、その頼りになるはずのPMは「俺は兼務だから常駐は君ひとりでよろしく!」「その分野は俺も全く知らないのよ。何で俺なんだろうねぇ♪」「きっと何とかなるよ。好きにやっていいから!!」と全く相談にのってくれません。
加えてあろうことか、お客様の開発会議にたまにきては「こんな開発スタイルはありえない!」「これじゃ品質の高いシステムを作るのは難しい。。」とクライアントを挑発するだけ挑発して、「えっけい、後はよろしくな♪」と足取り軽く帰っていくのです。彼が帰った後はいつもお客様側の開発責任者が私の机に来て、「まぁ、私たちはどうせシステム部とはいえ所詮素人集団ですから。一流のプロである御社のお手並みを拝見させていただきますよ」と怒りの炎を目に宿して低い声で語りかけるのでした。

私の席は広い部屋の中の数人分の机に一人だけ。周りは全て競合ベンダーさんの机です。興味本位のチラ見を毎日大量に浴びせられます。昼食・トイレ以外の飲み物等の休憩は隣の部屋の客先の責任者に許可を断ってからでないと席をたつことはできません。日中、ほぼ他者との接触は席外しの許可取りと会議くらいしかありませんでした。(今思うと会社からの退職勧奨だったのかもしれませんね()

きついストレスとプレッシャーに置かれて毎日を過ごすはめになった私は、「この事態を何とかしてくれ」とPMに(時に涙を浮かべて())猛烈に抗議をしました。時にはクビ覚悟でそのPMを面と向かって罵倒もしました。でも彼はそんなことはお構いなしで、「えっけい、そんなに怒るなよ~」「なんで俺の気持ちわかってくれねぇのかなぁ~」とタバコをぷかぷか吸いながら軽く言うのでした。

結局、私は退路を絶たれて救いも無いまま、その期間中は、毎日帰宅するとこの分野の勉強を入門書から始め(いつも机で本とPCに倒れこんで寝落ちしてました)、昼間は客先でその分野の専門家然として前夜に勉強した内容でコメントしたり資料を作成したりと綱渡りの生活を続けました。結果、最後まで自分の正体はクライアントにバレずなんとかしのぎ切れました。なんと仕事内容を褒めてももらえたそうです(何が評価対象だったのか今でもわかりません。自分なりには考え尽くしたつもりですが)。
ただ、終わった時はあまりの憔悴に達成感なんかかけらもなく、ただただ、生き延びたという感覚しかありませんでした。そして思い出すたびにまわりの無責任ぶりへの怒りが長い間収まりませんでした。

仕事が終って打ち上げた時、そのPMは相変わらず続く私の恨み節を聞きながら、「えっけい、悪かったってぇ。もう終わったんだからそんなに怒るなよ~。俺の言うとおりなんとかなっただろう♪」と相変わらずかるーく接してきます。ただ、この時はいつもと違う強い口調で「でもお客さんは本当に満足していたぞ。おまえは最高の仕事をしたよ。俺は心底嬉しいなぁ。」と繰り返し言ってくれました。(まぁそれでも私の怒りはおさまりませんでしたが)

以来、このPMは会うたびに(私をヘッドロックして)繰り返しその時の事をほめて私を信頼してくれました。人間、怒りはそれほど長くは維持できません。ましてや相手は自分をなぜか可愛がってくれています。そのうちに、戦友的な感覚で親しい間柄になっていきました。

この時の経験は、私にとって長い間、「(1人で乗り切った)脱線ギリギリの修羅場」として認識されていました。色々な学びや教訓を手に入れることができた、いわゆる「一皮むけた経験」です。ここでの学びは今でも生きて自分を助けてくれていますし、キャリアの節目の逸話として他人にも語ったりしています。

一部の(「天は見ている」説を信奉する)人は「きっとその上司とPMはえっけいさんの成長を促すためにわからない様に陰で見守ってくれていたんだよ。素晴らしい話だと思うなぁ」と言ってくれます。でもどんなに振り返っても、彼らが教育的観点から私を見守ってくれていた節は思い当たらず、私は「後一歩で本当にぶっ壊れる」というヒリヒリする感覚で仕事をしていました(最近よく聞く「danger」と「risk」でいうと明らかに前者の認知です)。
ですから、「彼らは実は意図を持った優れた教育者であった」という説にはいまだに受け入れる気にはなりません()

そう、正直言ってこの話はキャリア的なメッセージを意図した美談ではないのです。
ただ、色々ありながらも今では仲間として強く親しみ感じていたPMの死を受けて、この経験を改めて振り返ると気づいたことがいくつかあります。それは、

もし、この仕事において予定通りにPMから明確な仕事の指示がありそれを実行していたとしたら、どんなに真摯に取り組んだとしても単なる普通の仕事の一つとして10年を大きく過ぎてなお記憶に上がる程のものではなかっただろうということ。

そして、これが私にとって一番意味のある気づきなのですが、
もし、上司とPMがこの仕事を使って私を成長させるためにあえて厳しく(でも細心の注意と管理を持って)突き放していたのだとしても私はこの仕事からこれだけの学びや自信は得られていなかったと思います。つまりは、それは【演出された修羅場】であるからです。本当に誰も助けてくれない、自分で何とかしないと潰れてしまうという危機感の中で得たものだからこそ自分にとって本当に意味の深い学びが起こったのではないでしょうか。

一般的に部下側の視点では、上司はゴール到達までの道筋をほぼ予測して計画的な育成を織り込んだジョブアサインを部下にするのが正しい姿だと考え要求します。ただ、現実の仕事はそんな理想通りに扱えるものなどごくごく僅かにすぎず、時にミッションを与えられた段階では、それをどう扱って良いものか、そもそも達成できるものかも上司が全く見えない状態出始めるのはよくあることなのです。当然、育成を計画的に織り込んだジョブアサインを部下にできるわけなんかありません。そういう時には(部下が乗り越えられる)確信が一切なかったとしてもアサインできる部下にとにかく委ねて後は天に祈るしかないというケースは少なくは無いわけです。それにより、もしかしたら部下が壊れるかもしれないし、責任放棄して逃げるかもしれないし、ミッションはクリアできないかもしれない。でもその事実を認識し、起こる結果を自身の決断の結果として受け入れ、自分に出来る事を淡々とするのがマネージャーの運命と言えるのかもしれません。

だからこそ、このPMは、なんとかサバイブして一応結果を出した私を我が事のように喜んでくれたのもかもしれません。今思い返すと、もうダメかもと思っていた仲間が戦争から無事生還したかのような歓迎を彼は示していたような気もします(そういう仲間愛にあふれた人でした)。

逆にそのようなシチュエーションで仕事に従事する部下としては、その与えられた現実を理解してそれでもどの様に向き合っていくのか覚悟を決めることが重要なのでないでしょうか。予め救済が保証された状態でのみ仕事をする人間に深い自信・成長・自立が起こることは無いということとも言えるかもしれません。

思い出してみると、私はマネージャーだった頃、メンバーのモチベーションが高く成果もちゃんと出しながら成長し続けるチームが作りたくて色々と試行錯誤していた時がありました。その時はメンバーも努力を続けてくれて、スキルが高く良い価値を生み出す集団になることができました。ただ、私はメンバーの自立が本当に高いレベルで起こらなかった事に不満を持ちました。私は当時その要因をメンバーの意識に帰属させそれを不満に思っていたのですが、今あらためて考えると、過剰に自分が環境をマネジメントしようとし過ぎていて実験室的な状況を作ってしまったせいだったのかもしれません。

今回、このメルマガを書くことによって、そのPMは私に幾つもの大事な学びを複数回にわたって与えてくれた恩人なのだなと改めて気づかされました。
このちょっといい加減な、でも憎み切れない愛嬌を持ったPMに感謝するとともに哀悼を
ささげたいと思います。彼のお別れの場には本当に多くの人であふれかえっていたそうです。

追伸:
改めて当時の自分を振り返ると情けない位に甘くて浅い奴ですね。恥ずかしすぎます。
また何を深刻になって体を張りながらも絶望して怒り狂っていたのでしょうね。本当に危険だと思ったら踏ん張らず逃亡しても良かったわけです。そもそも上司は合理主義者でしたし、おそらく「駄目ならgive upする(壊れるまで踏ん張らん)だろうし、そん時はそん時で対処しよう」程度に考えていたのだと思います。こんな状態に陥ったのも、ある意味わたしの生真面目だけど視野の狭い性格故なのかもしれませんね。

追伸:
通常、ブログ等を書く際には中心となるメッセージを意識して内容を構成していくのですが、今回は上記のPMの思い出を振り返った時に、何かまだ説明しきれないモヤモヤとしたものを感じたので、先ず思いつくままに書き下してみました。そして自分の書いた文章を何度か見返すことによって、新たな気づきが湧いてくるという事が起こりました。
興味深い記述法でもありました。


以上です。

2012年2月1日水曜日

満5年。そして6年目。

久々の投稿になります。。

さて昨日、私は会社を辞めてフリーになってから満5年という月日を経ました。
そして本日から6年目に入ります。

そもそもビビリな私は、大学就活期からそれこそ独立1,2年前までフリーという働く手段を選ぼうなどとはカケラも考えておりませんでした。

そう考えると人生は面白いもんです。おまけに5年間もやってこれたわけですからねぇ。

(油断はしないしさらに続ける気満々ですが、5年間ってちょっとした記録感ありません?「ちゃんと仕事になってるじゃない?」って感じでしょうか(笑))

ただ、これは社交辞令でも何でもなく、心の底から思うのですが、自分一人では成り立たなかった話ですね。

どんなに自分が才能知識スキルを持っていて(私があると言ってるわけですは無いですよ)、

どんなにやる気と挑戦意欲があったって、

誰かが信頼して期待してくれて、自分が臨む機会を与えてくれて、そしてその結果どうだったかのフィードバック(駄目だったとか、最高だったとか、、ここ直せだとか、リピートするぞとか、さよならだとか)をくれなかったら、

仕事人生は成立しないんですよね。

フリーという人生は、「そういう当たり前の真実」を臨場感持って感じさせてくれるなとつくづく思います。
これは私が会社員だったときにはうすぼんやりしていた感覚です。
(いけてる会社員はそうじゃないですよ。ぼんくらな私のケースです)

フリーは決して安心安定な職業ではないですけど、そういう臨場感にあふれた人生を私にくれているなと今更ながらに感謝の念を感じます。

これからもっと臨場感もって生きていくぞ~。

皆様にも引続きご愛顧のほどをよろしくお願いします!!
(でも、使えなかったらあっさり切ってくださいまし)


こう少しブログ頻度上げなくては。。。ちゃお。

2011年8月19日金曜日

5日で絵が上手くなる?2

前回のブログでは、5日間通うと絵を描く力が圧倒的に上がるワークショップの出会いと体験の概要について書きました。

今回はその効果や感じた事にやや詳しく触れてみようと思います。

①「みる技術」 、「センシングモード」と「センシングフロー」

ワークショップの先生が強調していたのは、「このクラスで学ぶのは、描く技術では無く、観る(?)技術です。これが出来る様になると描くのも上手くなっていきます」という事でした。

この話を聴いて思ったのは、ここで求められているのは「在るものを在るがままに五感で受け止める」という事かなと。英語で言う所の「sensing」ですかね。

実は、仕事柄、この力のレベル向上が課題と思っていたので願ったり叶ったりです。ただ、課題であるだけに、この能力は私が最も苦手とするものだったりもします。
なんせ、私の能力の利き手はMBTIでいう所ではN(しかも主機能!)でして、入ってきた情報から連想されるものに思いを馳せたり発想を取り入れる事に集中するというタイプなのです。

そんなわけで、この五感でインプットした情報をありのまま受け容れる感覚を掴むのには正直大変苦しみましたが、それでもなんとか体得する事ができました。この感覚、正直、今までに殆ど使ったことのない不思議な感覚でした。

加えて、この「センシングモード」に気持ちよく没頭する、いわゆるフロー状態も味わう事ができました。
非利き手にあたる領域でまさかフローを体感するとは夢にも思わなかったのですが、味わってみると大変興味深いものでした。さながら別人になってしまったかのような妙な感覚です。
ワークショップ直後の1、2日はこのモードが余韻として残り、いつもの自分のモードに入れなくて少々戸惑いもしましたがやがて混乱も解消されて行きました。

②「スローラーニング」

このワークショップのウリは「5日間通うだけで絵を描くのが上手くなる」というものですから、受け手の印象はどちらかというと「スピードラーニング」的なものになると思います。

ところが5daysを終わっての印象はかなりの「スローラーニング」です。

本質的に重要な技術を一日ずつかけてゆっくりと時間をかけて徹底的に体に落とし込んでいくやり方なんですが、一見矛盾していそうだけれども、実はそれこそがスピード早く上達するポイントになっているようなんです。ここ何十年もスピードアップが仕事でもサービスでも能力開発でも大命題になっていますが、意味のあるスローさを賢く取り入れるのは重要だなと痛感しました。

③「描く個性と成長個性」

「人はみえ方(ものの捉え方)には個性がある。自分のその特質を知る事も上達のコツです」と先生に教えられました。
この事については、最終日に自分のものの捉え方の個性がわかってきました。私の場合は描く対象物をジックリと時間をかけて全体を把握してからでないと一切何も描け無い事がわかりました。一部だけでも理解しながら少しづつ手を進めていくという事が全く出来ない。だから、そこそこの時間が経過しても、全然描けなくてうんうん唸っていることは不思議じゃありません(ちなみにこの時の対象物は自画像でした)。代わりに全体像を把握してからのスピードはかなり速い方だと思います。

かなり不器用な感じですが、面白いことに、これは私の学習・成長パターンと共通していました。私は何か新しい事を始める時は、最初に長いこと上達出来ず「使えない木偶の坊モード」を続け、あるタイミングで全体を把握した瞬間に急速上達をするというパターンを描きます。

こんな個性の共通項があるなんて面白いですよね。

④「脳の可能性」

今回のワークショップで興味深かったものの一つに、「老若男女等による成長の伸びの差異は見受けられなかった」ということがあります。
一般に、若いほど学習効率が高い(もしくはアートは女性の方が上手になる)と思いがちですが、学習の種類によっては当てはまらないものも結構ありそうです。

むしろ「自分は@@だから伸びない・出来ない」という枠を取り外すことが出来れば、脳の可能性はまだまだ無限大にありそうな気持にさせられました。
今後は仕事面においてもより確信を持ってこの考え方でアプローチしていきたいなと思いました。

⑤「アートは全ての人が持っている力」

ワークショップの後半になって面白いなぁと実感したのですが、ほぼ同じ対象物を描いているのに絵の感じが個々でかなり違うのです。
昔の私はこれを「個人の技術差」と一言でスパっと片付けていたのですが、どうやらそれは違う様です。それは個々の見え方・表現の個性と考えた方が適切だなぁと思えてきました。それぞれかなり絵の趣は違いますがじっくりみると、それぞれがそれぞれに本物なのです。
こういった私のフィードバックを聴いて先生が「それこそがアートの本質なんですよ」とコメントされていて妙に感動してしまいました(笑)

世の中の人全てが自分のアートの個性を表現する力を手に入れたら、とてつも無く素晴らしい世界になるでしょうね。

でも先生は「アートに携わる人はそれを才能の世界と片づけようと片づけようとする」と言っていました。逆にこの考え方こそアートの本質と程遠い感じがしますね。これでは多くの人がアートに携わる事を諦めてしまうでしょうね。

まぁ、ちょっとできる人は排他的な世界を作りたいし、諦めたい人には言い訳が欲しい等々、こういった事は巷で良く聞く話ですしわからなくも無いですが、ただ、可能性のある人をいたずらに遠ざけてしまうのは罪だなと思います。コーチングとも繋がる話ですね。

⑥「後遺症」

ちなみに、このワークショップは普段使わない脳の使い方をするので、脳が混乱して日常生活に支障が出ることがあるらしく、施設に宿泊することを推奨されます(公営施設ですので高額ではありません。儲け目的ではないってことです)。
私は家が近かったのですが、念のため一番リスクのある日に二泊しました。

心の底では、「脳が混乱する様な刺激を話の種にむしろ食らってみたい」なんて不謹慎な事を考えていましたが、結果としては二日目に脳の頭頂部に妙に熱を持った位ですみました(先生の見解では脳梁に負荷がかかっている可能性だそうです)。

「なんだこんな程度か」と軽く残念なぐらいに考えていたのですが、なんとワークショップ終了の翌日に普段感じたことの無い部位複数カ所で頭痛が発生しました。不謹慎に何か起こる事を期待して後悔しました。どんな理由があるにせよ頭痛はきついもんでした。。

⑦「1週間経過して」


1週間経過後の今残っているワークショップの影響(効果)は、

・センシング(五感でひたすら受け止める)モードは意識的に起動可能です


・上記が影響しているのかもしれませんが、妙に集中力がある気がします。心が動じない感じもあり。そう言えば先生は「観る(右)モードは瞑想と似ている様です」と言ってましたっけ。。


・絵を描く力の持続は絵を描いて無いので正直わかりません。ただ、ちょっと時間をかければ何とかやれるだろうという楽観が常に心にあります


・仕事(能力開発、コーチング、組織変革、ファシリテーション)に使えるヒントをどっさり手に入れる事ができました


・アートする悦びを体感した満足感は心をずっと充足させています


という感じで今回はおしまいにします。それではまた。

2011年8月14日日曜日

5日間で絵が上手くなる?


5日間通うと絵を描く力が圧倒的に向上するというワークショップに参加してきました。

見つけたのは気に入っている本「ハイコンセプト(ダニエルピンク)」にたまたま載っていたからですが、その本によると、右脳の力をきちんと活用すると信じられない事が出来る様になるのだとか。。
参加者のワークショップ参加前と後の作品も載っていましたが確かに全く違う!
おまけに、今迄と違う脳の使い方をするので、他にも色々な変化が起こる事も有るそうです。

絵が上手くなる(と言うか描ける様になる)なんて考えた事もありませんでしたし、右脳を活用出来る様になる可能性もある、場合によっては、能力開発上の新たなヒントを得られるだけでも大きな事です。
早速ネットで調べてみると、日本でもやっている様です。
これは「行かなくてどうする?」でしょう。それでも、5日間もかけるし、まとまったお金(11万+α)もかかる躊躇がありましたので、説明会に参加して見たところ、先生は個性的でなんか持っていそうな空気が感じられます(本物の匂いっていうのかな)

そんなこんなで参加の覚悟を決めました。
(ちなみに、主目的は、仕事がら絵の上達より、能力開発の方です)

(でもでも、絵を描く事に強烈な劣等感を持ってから40年以上。。そんな事が果たして可能なのでしょうかねぇ?)

ワークショップは、あっという間の5days(ちなみにこれワークショップ名ね)でした。そして、こころ的には色々と上がり下がりタップリの日々でありました。

初日は怪訝、2日目は折れる寸前、3日目の前半まで凹み後半に面白くなってきて、4日目は描く悦びに漬かり、5日目に戸惑う。。うーん波乱万丈。(注:個人差かなり有り)

でも間違いなく、内容的に学習的に非常に濃厚な時間でした。

セッションで教える内容やテクニックは、何気にまっとうなものでした(本質的に重要な事をじっくりとやる感じ)。
先生曰く、「描く技術」では無く、「みる技術」を鍛える内容なのだとか。
決して怖い怪しいことはしません。

そして、そういった内容を、従来のやり方をなるべく遮断して、右脳系機能(右モードと呼ばれていました)を活性化させながら実施していました。

(この後に続く方を考えて細かい内容はあえて割愛します。内容を読んでわかった気になっちゃうと学習効果が相当下がるし、参加するモチベーション下がったりしますからね)

このワークショップで私は大変色々な学習的おミヤゲをいただけた気がします。最近のワークショップでも投資対効果は非常に高い部類に入ると思いました。

なにより40年も持ち続けた絵に対するコンプレックスが取り除かれて、
絵を描くというアーティスティックな悦びとはどういうものなのかを体感できたことは何ものにも変えがたいもののような気がします。

もしよろしければ皆さんも検討してみてはいかがでしょうか?

5ディ
アート・アンド・ブレイン


さて、そんなこんなでワークショップの効果がどうだったか?(ここが一番気になるでしょう?(笑))

ワークショップ参加前に課題で描いた作品と最終日に描いた作品がありますので、是非ご覧下さい!
ちなみに、最終日の作品は8割強を利き手の逆でやりました。



追伸:
折をみて、描く事以外の効果にも触れたいと思います。

2011年6月26日日曜日

娘お箸を使う

ちょいと親ばかネタです。

一ヶ月前位に、三歳の娘の通う保育園で妻が先生に聞かれました。

「りこちゃん、箸がうまく使えなくて苦労しているんですが、おうちではどうですか?」

私はその話を聞いてちょっとびっくりしてしまいました。

というのも、うちの娘は比較的要領覚えるのが早い方だと思っていたので、そんなことになっているとはちっとも思っていなかったからです。

でも確かに家では最近いい加減になっていて、エジソン箸やフォーク、スプーン、手等々入り交じって何でもありで特に箸訓練はしていませんでした。

そこで、箸を持たせてみましたが、エジソン箸の使い勝手が良すぎて箸を使おうとしない状態です。

褒まくったり、NLP的な間接メッセージやらで、取り敢えず箸を使わせますが、うまく出来ずに食欲まで落ちる始末。。そんなこんなで1週間近くそんな状態。


「強制をし過ぎて食事がつまらなくなるのも嫌だし、苦手感を作らせたくないし、こっちが指導しすぎて自主的な成長意識落ちても嫌だし。。」

なまじこんな商売しているだけに、あーでもないこーでもないと、結構陰で何がベストなアプローチかとこっそり悩んでおりました。

そしてそれから数日たったある日、最近の定番のセリフ、

「嫌になったらやめていいので少しだけお姉さんになる練習をしよう!」

をいいながら箸を食事の際に用意しました。

食卓に箸が並んだ状態で、既に娘の表情に軽く影がかかります。

最近の傾向であれば、暫くつまんなそうに箸を弄り、
「がんばって疲れたからもういい!」といってスプーンやフォークを使ってご飯を食べようとします。

でもこの日は少しいつもと違いました。

箸を見ながら何やら考えた娘、おもむろに箸を左に持ち替えました。

実は娘は左利きなのです。
ただ、左利きで箸を使うと右利きの人と手がぶつかりやすかったり、仲間で食事をする際に不便に感じる事が多くなるので箸は右で使わせる様にしようと左では特に教えてもいませんでした。

でも、なんと上手に使えるじゃありませんか。。娘も嬉しそうです。

「(やっぱり利き手か。。せっかく箸を使えるようになったのだから、変に右に矯正せずにこのままいかせるか。。娘の晴れやかな顔が一番だよねぇ)」

少しだけ躊躇いを感じながらも私は、

「良かったね。凄いじゃないか!」と娘の達成を一緒に喜びました。

でも、少しだけ未練たらしく、一言弱々しく追加しました。

「右も使えたら、ものすごくかっこいいんだけどねぇ」

すると娘は急に真面目な顔になって、左で持った箸の握りを丹念に確認すると、

急に箸を右に持ち替え直しました。そして、

これまた、上手に右でも箸を使い始めました!

これには私、完全に予想外で、こんな事もあるのか驚愕しました。
娘も見たことの無い位に嬉しそうです。

とまぁ親ばかな話なのですが、

でも今回の件は、子供の話という以外に、成長という観点で非常に考えさせられる事の多い出来事でした。(そんなわけでエッケイonに書きました)


「事態を突破する瞬間の鍵は利き手(仕込みは非利き手が案外重要)


「相手の可能性を他人が勝手に見切ってはいけない」

そして、

「可能性の開花は、他人ではなく本人のマターである」

普段からも語っている話ではありますが、心のそこから腹に落ちた瞬間でした。

自分の仕事のモチベーションは、
人のブレークスルーの瞬間に立ち会うことなので最高な時間でもありました。

親ばかではありますが、あえて、娘に感謝したいと思います。
(これに味しめて変に欲かかない様にしなきゃ。。)