2010年1月24日日曜日

人はストックかフローか

何年か前から【人材】の代わりに【人財】という言葉が使われる様になりました。

私の記憶では、「【人材】は人を材料と同じ扱いにしていて失礼な話だ。会社において社員は宝だ。だから【人財】という風に言うべきだ」という論調だったと思います。

でもこの【人財】という言葉、私にはピンときません。

「言葉変えたからなんなの?」という想いがどうしてもぬぐえない。

考え方によっては、言霊を変えることにより変質が始まるという理屈ができなくもないでしょうが、人財という言葉が使われて何年も経とうとしていますが、人材に関して大きく何かが(プラスに)変わっている感覚は私にはありません。

皆さんはいかがでしょうかね?

【人財】について、私のこの業界における師匠がこんなことを言っていました。

「【財】って言葉はストック的な(動かない)資産を意味するんだよ。でも人って違うよな?むしろフロー的な(常に動いている)価値に近いんじゃないかな?人を【人財】って呼んじゃっていいのかな?お宝然として動かなくなってふんぞり返っちゃうんじゃないか?(笑)」

この意見を聞いて私もずいぶん賛同を覚えましたっけ。

と、なぜいきなりこんな話を思い出したかというと、

今日、スペインリーグのFCバルセロナの試合を見ていた時です。バルサの選手は世界のトッププレイヤー達ですが、これが奢らず良く動く。自分が持っているポテンシャルをフルに発揮しようとしている。またそういう自分達を誇っているかの様に振舞っていました。
「うーむ、この連中はフロー人材だわ。こいつらは現状に留まっておらず常に自分の価値を高めているなぁ」
と感じいってしまいました。

これと対照的だと思ったのが、
当時、銀河系軍団と言われた頃のレアルマドリードや、巨人の前の世代です。金で有名選手を買うはいいが、これが機能しないしない。余裕な感じで落ち着きすぎちゃってて、彼らのプレイに躍動感は感じませんでしたっけ。サポーターも当初は、彼らがそこにいるだけで満足していました。
まさに、デンと鎮座している【おたから】だったのだと思います。

今の時代は、価値在るものこそ動いていないと駄目なんじゃないですかね?特に人はね。

不動の財はあっという間にその価値を下げて失って行く様な気がします。

皆さんの会社はどうですかね?昔とった杵柄や開花させない潜在能力だけが人財のウリになっちゃってませんかね?


そうそう、そういえば、関係ないですが、うちの【NTT電話加入権ちゃん】もえらいことになっちゃってるのを改めて思い出しました。。

2010年1月18日月曜日

言語化の意味

最近、人の認知に関する本を読んでいるのだが、言語化の考え方を一つ手に入れた。

「言語化とは、人の思考にインデックス(索引)を作ること」

常に無数の思考が流れては消える心の中だ、
そこに索引があれば同じものを取り出すことも容易になるだろう。
だから言語化は大事っていう話も言えるかな。
また、その言葉を気に入って何回も繰り返して使えば道も太くなるだろうから、
スムーズに使いこなせるようになるだろう。これを持論と呼ぶのだろうな。
また、別なことも考えた。

言語化がある人の思考をコード化(≒表現)したものならば、
他人が使う言葉(キーワード)を誰かが用いたとしても全く同じ意味を持っているとは限らないだろう。
(例を出すとしたら、「そんなの常識だろ!」って感じか。常識って実は人によって全く違うしね)

これが、キーワードの一人歩きを生むんだろうなぁ。
一つのキーワードを多様な解釈で用いているのにも関わらず、皆が互いに理解を共有していると勘違いしているケースによくぶつかる。

自分も偉そうなことは言えない。世間で流れているキーワードをたいして調べもしないで勝手に自分の知識とくっつけて偉そうな講釈をたれてしまっているかもしれない。
気をつけないとな。

そう考えるとコミュニケーションは難しくもなるよね。

追伸:
twitterhttp://twitter.com/ekkeion)始めるとブログの短いやつはそっちで片がついてしまって更新がより空いちゃいますねぇ。。

2010年1月11日月曜日

純粋なエネルギーと他者貢献性


ある企業の幹部向けのコーチングの際、クライアントが思い入れを持ってやろうとしているある企画に関して、


「ちなみに@@さんのその企画推進に邪魔入れようとする輩はいないんですか?」


と問うてみた。(さすがに企業幹部とかだと政敵みたいな、何でも否定する相手はいないのかな?と思って)


クライアントは一瞬間をおいて(一応、頭を張り巡らしたのでしょう)


「いや、この企画は、純粋に会社に必要だと思う気持ちからだし、自分の利得や政治的な思惑に基づいたものじゃいないから変なちゃちゃは入らないと思うよ。それに放っておいたら誰も面倒くさがってやらない仕事だからね」


とのことだった。


その話を聞いて妙に心に刺さってしまった。


自分が会社をやめる寸前にやっていた企画もそんな感じだった。

この企画は会社(というか社員)に絶対必要だと思ったし、それを実現したいと心から願った仕事だった。それに、お恥ずかしながら、自分で手を上げて会社全体に適用するサービスを提案したのは初めてのことだった。


そのサービスは会社に必要だと厳密に・客観的に断定できるほどのエビデンスは無かったが、結果的に役職上下関係なく多くの賛同者が現れ、その実現のために自分を助けてくれた。


自分は大きな組織・規模で、かつ、「行動力よりも論理客観性が重視される(石橋ぶったたいて渡る前にぶっ壊すという意味ね)」会社の育ちのせいか、組織において個人の想い的な企画を出しても、きっと、よってたかって「出る杭は打たれる」のだろうと思い込んでいる節があったので、その企画が会社の制度として認められた時に、


「なんだ、出る杭って打たれないじゃん」(そりゃ微妙な抵抗勢力は存在していたけど)


と意外に感じた記憶がある。


フリーになり、色々な会社の話を聞くようになると、この手の話って案外多いってことがわかるようになった。


「発案者が強い情熱を持って企画実現に取組めば」、そして、「その企画が他者のためになるのものである」ならば、案外、周囲は邪魔しないものだ。


そして、絶対正解の無いこの時代、会社組織(社会性を持った組織)には、そういう風に言い出す人を待っている仕事や企画は無数に存在しているような気がする。(おまけに、そういう仕事は、想い入れの無い人からすると面倒くさくてうんざりするノルマ作業にしか見えてないケースが多い。当然、命令を受けなければ誰も手を出さない)



でも、強い「想い入れ」って奴は、その人の内発的動機から来るものだから、自分が「仕事に何を求めているのか」「どんな(風に)仕事をすることが自分の純粋なエネルギーを発現することにつながるのか」をきちんと見つめることが必要になるのかもしれない。でも多くの人はここが見極められていない。


けっこう簡単な話じゃ無いのかもな。でも、多くの人にそんな仕事への想いを見出してもらいたいなぁ。そんな風に仕事をすることは、自分だけでなく周りの人も幸せにすると思う。


(なんかうまく言語化できなかったな。。)