2008年2月26日火曜日

ワールドカフェ

って知ってますか?
最近ひそかに流行っているのですが、大規模の人数でダイローグ(腹をわった深い対話)を起こす手法の一つです。

私は最初にその名前を聞いた時に「最近良く聞くけど、カフェ経営に投資する金融商品かなんか」だと思ってましたが全然違ってました(笑)
最近、こういった大規模組織におけるダイローグ生成ツール(ちょっと安易なカテゴライズですが。。)が関係者で結構注目されています。「ワールドカフェ」以外にも、「AI」・「オープンスペーステクノロジー」・「フューチャーサーチ」という手法が有名です。ちなみに私は「フューチャーサーチ」以外は実ビジネスでの適用経験がありますが、どれもうまく適用すればなかなか興味深い効果をもたらします。

これらの仕組みをきちんと説明するとかなりマニアックな長文になる恐れがあるので割愛しますが、最近特に気に入っているのがこの「ワールドカフェ」です。
簡単に説明しちゃうと、4人1テーブル(× n)に分けられた参加者があるテーマについて話し合いをするのですが、途中でメンバーを相互のテーブルで入れ替えたりして話し合いを継続していくというやり方をします。それだけ聞いちゃうと何の変哲もない感じを受けるでしょうが、うまく使うと大人数(最小構成12~最大1000人以上)が短時間で全員の意識の共有化が図れたり、課題に関しての参加者のコミットメントを醸成したり、今までにない創造的なソリューションを生み出せたりするという優れた効果をあげることができます。
詳しくは「ワールドカフェ」という本(日本語対応済)が出版されており結構内容も良いのですが、残念ながらこれは本を読んだだけではかなーりピンときません。ただし、一度でも体験するとまずまずのセンスを持っている人はその可能性についてすぐ実感できます。比較的構造もしっかりしているので、ファシリテーション経験が多少あれば安定的に運営でき、効果も結構出ます。必死に神経張り巡らしてファシらないでも回せます(但しテーマ設定に知恵を絞るのといくつかの成功ポイントを事前に受講者に打ち込んでいおくのは必要)。

私自身は昨年末に知人の開催する体験会で初体験をしてからすぐ気に入って、クライアントや知り合いのパートナーに「やろう!やろう!」と提案しまくってます。
この間はお客様が「もうひとつピンとこないから体験したい」とのことでしたので体験会を実施しましたが参加者に好評でした。
私自身にとってもファシリテーター(カフェではホストという)をしている際に各テーブルから生まれるアイデアの結合現象が起こるの見るのが大変刺激的でした。

「ワールドカフェ」、チェックしておいて損はないです。
興味があって体験したい人は私に言ってくれれば体験会を開催する機会があった時に声かけます。
(現在、体験したがっている知り合いが5人いるのですが後10人位集まったら開催できます)

2008年2月24日日曜日

脳の活性パターン

時々、あるタイミングで脳が妙に冴えて、アイデアや気づきがばんばん頻発する時ってありませんか?
自分にもそういう時があるのですが、この瞬間を非常に大切にしています。

自分の記憶の中でも最高だった瞬間は、Fijiに旅行した時に起こりました。海を見ながら本を読んでいたら、今まで経験したこともないようなハイな瞬間が突然来て、本が信じられないスピードで進み次から次へとアイデアが湧いてきたんです。
3年前の出来事なのですが、この間その際(びっしり)書き込んだノートをみたら、独立までの道筋、今の仕事の戦略、戦術がその時に作られたものが全てベースになっていることに驚きました。

それ以来その再現を目指して色々とチャレンジしているのですが、わかったのはきれいな南海の旅行、思考が深かったり感度の良い友人とのブレストを通して起こりやすいということぐらいでした。

ところがこの間、私がキャリアコーチングをしている後輩と、旅行しながらコーチングするという【ツアーコーチング(仮題)】トライアルをしていた時のことです。その後輩が最近コーチングを勉強しているとのことでしたので、今度は立場を換えて私がコーチングをしてもらうことにしました。お題は「最近、脳の活性があまり起こらないのでなんとかしたい」です。お題がお題、勉強始めてから間もないということもあり、彼は途中で結局投了したのですが、それが考える良いきっかけになってくれ、結構いい整理ができました。
その際、わかった私の脳の活性パターンは、
①安全満足度の高いリラックスできる場所×②思考活性を起こすトリガー
でした。
fijiのケースでは、①がfijiの気候、きれいな海、プライベート空間の確保②が日本から持参した良書だったことがわかりました。
友人とのブレストでは、①がリラックスできる飲み屋、バー②が友人との会話だったわけです。

今のところは、①の最高パターンは南海のプライベートリゾート、②のトリガーは知的好奇心の高い友人との会話か(内省を起こす)良書ということが判明しました。

この気づきはかなり大きいです。うまくこの活性状態を作り出せたら半端じゃないクリエィティブワークがものにできますからね。後輩に感謝です。

皆さんも自身の活性化パターンわかっていますか?探索する価値は十分にありますよ。

2008年2月17日日曜日

成長にも個性


合宿研修の講師で長野県に出張しておりました。その研修では私はコンテンツには関わらず、受講者の方の学び・気づきにだけフォーカスして働きかけるという役割を担っているのですがあまり他には無い研修なので私自身も非常にためになります。

毎回思うのですが、人の学び・成長には個性があります。

一見当たり前ですが最初に実感したのは私が会社にいた頃所属した教育担当の時です。

それまでは人の好き嫌いが激しく、第一印象に近い時間で「この人はできる」「この人はできない」みたいに0/1で人を判断していたのですが、教育担当として新人を受け止める仕事を続けるうちに、人の伸びる時期、その時の幅や深さには個性があり、人を判断する時にはスナップショットではなく時間という軸も考えに入れないといけなのだと体感しました。

またそれが面白いと思ってしまったからこそこのキャリアを選んでいるのですが、この研修は毎回それを思い出させてくれます。

やっぱり個性は抑制するものでなく活かすものだと思うんです。当然、自分の成長の個性について特徴をしっかり把握しておくと、自分を伸ばすのが上手になるので満足感の高い人生がおくれると思います。

ちなみに私の成長パターンは一定期間超低空飛行で、ある時突然に垂直上昇する形です。

会社員時代、人事異動で新しいセクションにいくと暫くはあまりに使えないので上司がこっそり陰でため息をついてましたっけ。

しっかし、今年は寒いです。初めて諏訪湖に氷が張っているのを見ました。

2008年2月7日木曜日

いとおしい後輩達

今日、前職の会社で講師を終えて部屋を出たら昔の後輩達が顔を見せに待っていた。

彼らは自分が事業本部の教育担当をしたときの最初の新人だ。本当に良い思い出をくれたと思う。その当時では記憶に無いほどのやりがいを与えてくれた。彼らとの出会いは僕がこのキャリアを選ぶきっかけとなったといえるかもしれない。それだけにひとしおの思い入れがある代だ。

もう、いとおしいと言うには失礼な立派な社会人だがその当時の感覚が未だに抜けない(笑)

思いっきり飲みに行きたかったが明日も講師が入っているので泣く泣くあきらめた。
うー、もっと話したかったな。

2008年2月5日火曜日

WHALE

私の敬愛する元同僚に教えてもらったのですがこの言葉知ってました?

Working Hard And Learning Ended

の頭文字をとった言葉だそうです(出所はちょっとわかりません)。
乱暴に訳しちゃうと
「仕事は忙しいが学びが起こっておらず組織的につんじゃっている(状態)」
って感じでしょうか。

これって自分の会社員時代の経験を考えると結構良くあることだなと思ってしまいました。
「仕事とはそこに学びが存在しなければそれは本物ではない」というのが私の主張なのですが、まぁなんと精魂尽き果てて疲弊しても成長感を持てず目がどんよりしたゾンビーの様な社員の職場が多いことでしょう。

緩過ぎても成果もメンバーの成長もゆるゆるで双方の競争力が研鑽されない、かといってムチ打ちすぎても逆にメンバーの意志も無くなり高ストレス下の奴隷みたいになってしまう恐れありと、組織を率いる者はこの加減の難しさに悩むことも少なくなさそうです。

「部下は油断するとサボるもの」という性悪説に基づいたマネジメントをする者はこの状況を打開できないでしょうし、部下に(それが健全でも)プレッシャーを与えることのプレッシャーに耐えられないマネージャーでも打開できないでしょう。そもそも自身の成長をあきらめたり他責にしてしまうメンバーもその要因でしょう。

リーダーが組織の成果と個人の成長は好ましく両立すると心のそこから信じ、メンバーはキャリア的自己概念を成熟させ、時に難しくなるこの命題を実現させる創造力を双方で発揮したいものですね。

2008年2月3日日曜日

人が遺せるもの

「私たちは、後世に何を遺していくのか、お金か、事業か、思想か。誰でも残せるのは自分の高尚なる生涯ではないか」

内村鑑三さんの言葉だそうだ。

この言葉、妙にインパクトがあり、ある本を読んでいた時にみつけたのだが、それ以後、頭を離れない。

「高尚なる生涯」というとかしこまった感じがしてひくのだが、「自分に誇りを持てる生涯」と言い換えたらどうだろうか?決して他人から羨まれる様なものでなくても良いと思う。自分の生涯は結局自分のものだ。それなら自分が納得でき、自分を誇れることが人生に重要なのではないかと思う。

さらに私はこの生涯とキャリア(仕事人生)は切ってもきれないものだと思う。特にこれからの世の中は男女ともに大半の人は仕事を通して自分の人生を見つめることだろう。

昔小さい時、無口な父が自分の仕事を誇らしげに語った一瞬がある。父は技術屋ではあるが普通の勤め人で社会的に名声を得た人物ではない。ただ、私はあの時の父の顔が忘れられないし、あの時の父を誇りに思う(彼はそんなことは忘れているだろうが())。

金や事業は比較できるが自分の生涯は誰にも比較できるものではない。(中には勝手に他人が比較するかもしれないがそれは本質ではない。その人の心の中にだけ存在するものだからだ)

自分だけが紡ぐオリジナルなストーリー。ぜひ誇りを持てるものにしたいものだ。

その誇りあるストーリーは子どもやパートナー、仲間に語られ、遺されていく。

2008年2月2日土曜日

一芸にもがいた者は多芸に通ず?

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉があります。インターネットでこの言葉を使っている人を検索すると「一芸に通じる者はすごい。何でもできる。やっぱりすごいやつはすごい。(うらやましいなぁ)」といったテンションが多いようです。

私の言いたい点はちょっと違います。
最近頻繁に感じるのは、ぜんぜん業界が違ったり専門分野が違うのにがんがん話通じるやつがいるということです。よく観察するとそういう奴は、誰かがしゃべった内容を「(ああ、それは自分の場合では@@@と一緒だな)」と解釈できる様です。
これは経験した内容を抽象化して、違う局面で活かせる様に整理できているんだと思います。この特性は成長力の高い人に共通して表れる要素のひとつです。
この様な人は前述の「一芸に秀でる者は多芸に通じる」と評されますが、私は「一芸にもがいた者は」と変えたほうがピンときます。あまり努力せず天賦の才だけで一芸に秀でた人が多芸に通じているのをあまりみたことがないからです。
その分野で自分の可能性を証明したくて色々情報収集して色々取り組んで色々考え抜いているからこそ他分野との関連性に思考が働くのではないでしょうか?

この間、改めて強く感じたことがありました。
ひょんなことからプロのサッカー選手とお茶&食事をする機会を得たのですが、彼は非常に知的好奇心の高い人でした。またキャリアデザインに修練する機会はあまり無いはずなのに、私のキャリアに関する話に完全にキャッチアップしていましたし、他の異業種仲間のビジネス話に高い関心を持って聞き入ってました。今まで何人もこのノリにこぼれた若手ビジネスパーソンの数を考えると私には驚く体験でした。(詳しくは友人のブログhttp://ogajuns2000.blogspot.com/「ひょんなことから」をご覧ください。)

彼は選手としてはベテランの域に達しかつ体の故障との戦いで、いつ選手生命を絶たれるかもわからない危機感の中、自分にとってサッカーとは何なのか?自分の生き様はどうあるべきなのかを深く考えているのでしょう。
この様な人は話をしていても心を揺り動かされます。当然支えたいなと心から感じさせます。
すごく良い出会いでした。

2008年2月1日金曜日

1周年

去年の1月末に15年以上働いた会社を退職して、2月1日からフリーランスとして働くことになった。あっという間に1年たった感じだ。


本当に激動な1年だ。リーマンからフリー。この年で娘ができた。引越しもした。どうやら去年は厄年だったらしい。全く笑ってしまう。かなり慎重派なんだけどなぁ、自分は。


元々はフリーで起業するつもりなんかなかった。憧れもしなかった。組織愛に満ちた会社で仲間に囲まれて生き生きと働くつもりだった。でもうまくいかなかった。頑固者で納得できない仕事ができなかった。与えられたオーダーの根本の意義から問い直す様な社員は上司からみたら最悪な存在だ。

(ちなみに企業で活躍できる人材タイプは梅田さんが「ウェブ時代をゆく」で書いている。面白いので見られてはいかがだろうか)


30をけっこう過ぎて本当にやりたい仕事をみつけた。やりたい仕事を一生懸命やっていると仲間がより多くなった。様々な力が上がった。結果も出るので(ふらふらしている頃よりは)自信もついた。ようやくほっとした。人にもやさしくなれるようになった。


そして、自分らしい仕事の仕方を追求していったら、いつのまにか今の道になってしまった。

全くキャリアってやつはどう転がるかはわかったものではない。


でも1年経った。多くの人に支えられたおかげだと心底感じている。

でも、目に見えない人たちに片っ端から感謝を述べる気は無い。そんな宗教的な広い心はちっぽけな自分にはない。


支えてくれた人は仕事やプライベートで深い付き合いができた人達だ。逆に自分もその人たちのためならできる限り支えたいと思っている。そういう付き合いこそが自分にとって本当に意味のあるものだ。これからも、そういう濃いつながりを楽しめる人生だったら幸せだ。


この1年ありがとう。今年は楽しく挑戦していきます。