2008年12月31日水曜日

効果音が我々に与えている影響

皆さんは普段テレビ番組で使われている効果音にどれ位注意を払っていますか?

何かに正解した時とか、番組のキーワードが登場する時の「ピンポーン」とか「シャキーン」とか「パンパパパーン」という類の音のことです。

結構、意識しないで重要視せず流してしまっていませんか?ちなみに私は殆ど注意を払っていません。

このことに改めて気づくことになったきっかけは一歳ちょっとの娘からです。

家でテレビを流していると、娘が必ず私が意識しないタイミングで度々テレビを振り向くんで、「いったい何に反応しているんだろう?」と注意深く観察してみると、それは何かの効果音が入る瞬間だということがわかりました。

我々はこういったテレビ手法に慣れっこになって、良くある効果音に関しては意識せず聞き流してしまっています。(娘はこういった慣れが無いのでいちいち意識でそれらのメッセージに反応しているわけです)
ただ、こういった効果音は何気に何らかの影響を我々の無意識に確実に与えています。
「なんかあのCM印象に残ったなぁ」とか「あの番組では重要な事実が判明したなぁ」とか番組コンテンツのレベルと相関しない形で(要するに大した内容じゃなかったのに)妙に印象や情動が心に残った場合、そういった無意識でだけ受け止めてしまっているメッセージが影響を与えている可能性があるので注意した方が良いなと感じました。

一種の軽いマインドコントロールですからね。まぁ、すごい心理操作まではできないでしょうが、こういう無意識レベルになってしまったものを、一度意識のレベルで認知するということは重要なことだと思いました。

2008年

まもなく2008年も終わろうとしています。

独立2年目の本年も多くの人の助けや信頼をいただきながら無事におくることができました。
この場をお借りして感謝を述べさせていただきます。
「支えてくださった皆様、本当にありがとうございました」

私の2008年は昨年の流れを引き継いだ形で推進した1年だったと思います。
事業としては安定した年ではありましたが、当然、課題もありました。

年初の目標では新規のお客様の割合を今より増やしたいとしていたのですが、新規ルートを拡大した割には実際の案件につながる数は想定よりは多くなかったというのが実際のところでした。

でもこれは考えてみたら当たり前の話ですよね。潜在顧客がすぐに実案件になるなんて虫が良すぎました(笑)

私の仕事は人の成長を支援する仕事ですから、お客様やパートナーに私自身を良く知っていただいて、相互の信頼関係を深めることが最も重要なはずなんです。
そういう仕事における本質的なことと、単純にビジネスを拡大するという経営発想を別物で考えてしまった愚かさがあったかもしれないと反省しました。
こういうのは焦らずじっくりやっていかなければなりませんね。

ただ、そんな中でも今年は、「磨けば光りそうな何かの原石」もいくつか手に入れることができた様な気がします。

「想定していなかった新たな仲間を得る事ができた。その関係で新たな分野の仕事ができそうな気配あり」

「密かに自信を持っていたスキルを一部ソリューションにしてお客様に導入したところ、想像以上の手ごたえを感じることができた」

「信頼している仲間の縁で、自分の得意技を未経験の業界で今までに無いソリューションという形で進化させられるかもしれない」

こうやって今年を振り返りって、来年は、

「自分がこれまで持っていた大事なものにさらに磨きをかけ、そして新たな挑戦をする」

という年にしなければいけないなと強く感じました。

そう「エッケイon セカンドシーズン」 です。
どっかの海外ドラマみたいにおんなじ事の繰り返しで引っ張って、シーズンだけ重ねるようなことにならないようにがんばります!

皆様、来年もよろしくお願いいたします。

2008年12月10日水曜日

何かの取組みが定着するには時間が必要か

前の会社を辞める前に始めたキャリアコーチングサービス(1:1でキャリアの相談)は、トライアル期間を入れてもう3年になろうとしています。幸いなことに辞めた後も引き続きサポートさせてもらえることになり現在もコーチとして参加しています。

当初導入に際して若手を中心とした社員層にインタビューをしたところ、どの層にも積極的に支持を受けたこともあり、自分は相当鼻息荒く「やっぱりこのサービスは絶対必要なんじゃい!反対する奴こそ分かってないんだ。会社を辞める前の最後の恩返しだ♪」と奔走し、色々な人の力を借りて何とか立ち上げることができました。

ところが、いざサービスを開始してみると、申込者は予想より少なくてサービス日はぽつんと部屋に私一人で手持ち無沙汰なんてこともありました。
「あるにこした事は無いってレベルで、賛同はされたけど実はあんまり必要性は無かったのかなぁ・・・」
と、自分は意味の無いことにドンキホーテ的な労力をかけていたのだろうかとひそかに淋しい想いをしていました。

ところが半年前くらいからです。徐々に申込が増加してサービス実施日は予約で一杯な日が多くなってきたのです。
特別に何か変わったプロモーションを最近始めたわけではなく、やるべきことを淡々とやり続けたら、ある時に急に閾値を超えたように何かが変わった感じです。
(現象としては口コミが急に増え始めた感じはありますがこれは意図的に起こしたものではないのです)

やはり、組織に何かを定着化させるためにはやはり一定の持続期間が必要なのかもしれません。
(そのための努力と研鑽は続けるという前提ですが。)

考えてみたら個人においても、自分に新しい思考法や行動をインストールするためには、閾値を超える一定の反復や持続が必要ですものね(人の多くはこの閾値を超える忍耐が続かずリタイヤするんですが)。

気の短い私は、大きな会社で、長期のビジョンを持ってしつこく持続して変質を待つ器量はちょいと足りないかもしれませぬ。(友達には、やりたいことにはねちっこくしつこいと言われてはいますが)

このサービスも諦めないで支えてくれる仲間がいなかったらさっさと諦めていたでしょう。
(途中何度も檄をいれられたり慰められたりしましたっけ)

仲間との意味のあるつながりは自分の出来無そうなことも時に可能にしてくれます。

2008年12月7日日曜日

オグシオ解散に見るキャリアタイプの違い

最早、古いねたになってしまっていますがご勘弁を。
ずっと書きたかったけどタイミング合わせられませんでした。

オグシオのコンビ解消会見をテレビで見て面白いなと感じたのでそのことを。
二人曰くその解消の理由を二人の目標のズレにあるとのこと。

小倉選手「4年後のロンドンを目指して、これからがんばりたい」
潮田選手「すぐさまロンドンはなく、1年1年をがんばりたい」

一見するとなんか大したこと無さそうなズレに、
多くの人が「なんか他の理由があるに違いない」と憶測を飛ばしている様です。
(潮田選手は嘘言っているとかね)

でも、この理由は私から見ると案外納得できるケースではあります。
というのは、人には、
「自分が夢に向かってがんばるからキャリアゴールに到達できる」
「目の前の日々を積み重ねることによって、自ずとキャリアができてくる」
といったタイプがあるように思えるからです。

(ちなみに、この考え方を最初に言語化していたのは、私ではなく、私のコーチングの師匠格である平本相武さんがコーチングの目標設定に関して人の違いを説明されていた話の発展系です)

私は前者を「アメリカンドリーマー」タイプ、後者を「日本式求道者」タイプとイメージしています。

キャリアの相談にのっているとこの2タイプは本当に存在するなぁと感じます。
またこのタイプの差によって、悩むポイント、キャリア研鑽の方法も変わってくるのが面白いところです。達成感の感じ方も前者は目標達成によって一時にドパーッと大きな快感を得たい人が多く、後者はジワーッとした小さめな快感を多く得たい人が多い様です。

今のところの私の感想では、両者の違いは「エネルギーの湧くポイントが未来にあるのか現在にあるのか」の違いでどっちの方が正しいということではない気がしています。面白いことに双方のタイプでしっかりキャリアを歩んでいくと行き着く先も究極的には同じだったりします。

ただ、これがプロスポーツのペアとなると深刻ですよね。
ロンドンを目指すとなると4年間の厳しいロードマップを書いてそれを着実にこなしていかなければなりませんから、小倉選手の考え方でやっていく必要があるでしょう。
潮田選手のやり方で結果的にロンドンに行けないとは限りませんが、「いざフタを開けてみないとどうなるかわかりませーん」ということでは小倉選手の方が精神的に参ってしまうでしょうし。
でも小倉スタイルだと潮田選手はすごく未来に縛り付けられた感じがして不自由なストレスを感じることでしょう。

面白いことに、これが選手としてのキャリアライフと考えると、案外、潮田選手の方が長命で老練になって生涯成績が良かったり名物コーチになったりするかもしれません。小倉選手パターンは目標の結果が出たらプツンと集中力が切れたり、全然違う目標を見つけて放浪してしまったりすることもありますね。

私はスポーツ選手で才能に恵まれていながら、若くして引退してしまう選手と長生きする選手の違いが出るのはなぜだろうとよく考えるのですが、このタイプの違いも一因かなと思っています。

(サッカーだと、小倉選手パターンは中田英寿元選手、潮田パターンは三浦・中山選手ってところでしょうか)

ちなみにこのタイプ、先天的に固定で変化が無いのか、状況によってタイプに変更が生じるのかは、今のところ私は結論に至ってはいません。
ふーっ、ようやくこのテーマで書けた。すっきりした。

2008年12月6日土曜日

ブログ復活

久々の投稿です。

8月から想定外に繁忙が続き、余裕の無い日々を過ごしてしまいました。
本当にブログ書くヒマがなかったのかと言えば微妙ではありますが、
(遅い夏休みで海外旅してますしね(笑)[詳細はエッケイoffへ])

余裕の無いフリーランスが持つ心理状態は興味深く、

「(ブログ書くヒマがあったら、自分の仕事の精度を磨いたほうがいいんじゃないか?まだ終わってないタスクが山の様にあるぞ)。売上あげるか、スキル上げとけ!」

なぞという悪魔(むしろ良識?)が私に囁くのです。これは会社員時代には無かった傾向ですね。
会社員時代は忙しくても、この種のことには時間を無理くり作っていました。

でも面白いことに、一人旅で自分のキャリアプランを再考していたら、
「仕事に当てる割合を割いてでもブログを書くほうが良いかも」
という思いに行き着きました。

文章を書くという行為が自分にいかに必要で重要なことなのかということが実感したということですね。
(シチリアのある山頂でにわか雨に打たれて悟りました(笑))

だからこれからはこまめに投稿しようと思います!
(ちなみに私はMBTIではPですので「結論は、あくまで暫定の結論」という怪しげな決意レベルですが。。)

ちなみに、他に出てきた興味深い考えは、「コーチング力をもっと高みに上げておけ」でした。
理由は、私のビジネスのリスク要因にあるのですが、文章で書くと非常に誤解を生みそうなのでここでは触れません。(一回、書いてみましたが誤解される要素がありすぎました。。)

さてさて決意は長く続くのでしょうか。。(やれやれ、コメントが他人事だなぁ。。)

2008年10月6日月曜日

イメージのリアルさ

研修講師やコーチングをやっていると、クライアントの夢や目標が実現するかしないか簡単に見極める方法がある。

それはその人が「それをいかにリアリティをもって描いているか」だ。クライアントがさながら既にそれが実現しているかのように言語化できれば、これはかなりの確率で実現すると思う。
(同じことを友人がブログでも書いていた)
夢は夢で儚くかなわないものと心の片隅に感じてしまったら絶対実現はしない。

何をもって「リアリティがある」といえるかについては色々あるだろうが、
その一つに、「他人が聞いて、その実現シーンを頭の中で思わず思い描けてしまう」というのがあると思う。

先週、講師をしていた時にグループディスカッションで語り合っている参加者の会話が耳に入ってきた。

Aさん「いいチームを作りたいって、具体的にどんな状態になったらそう言えるの?」(←いい質問!)
Bさん「んー。各メンバーのミッションでは無いグレーゾーンになっている仕事をメンバーが自然に拾いあってる感じかなー。で、効率的では無いかもしれないけど、複数のメンバーがたまたま隙間の仕事を重複してやってしまったことが発覚して、笑い合っているシーンとかあると素敵だな」

んー、そのシーンが頭に浮かんで微笑んでしまった。Bさんナイスイメージ!

2008年10月4日土曜日

例の研修二回目

前のブログの2回目が木・金とあった。

今回はかなり良い感じで進んだ。自分的にも手ごたえがあり、
「自分らしいスタイルが貫けた」と感じることができた。
アンケート結果も非常に良好で優・良・可であれば「優」の真ん中といったかんじだった。

ただ、前回と比較しての勝因は明確なものが特定できなかった。

・前回の反省から開発者側がテキスト改善や演習スタイル改善に努力をした
・講師の自分が慣れて講師ワークのぎこちなさが消えて滑らかになった
・前回の参加者の成果物を見てもっとストレッチできると判断して、
(自分が)高度なノウハウを思いっきり突っ込んでみた

どれがカギだったかはわからない。仕事は、大学の実験じゃないから、
変数を一個に絞ってその結果を見るようなことはできない。
たいてい、複数の改善ポイントをつっこんで結果をみるからだ。

でも感覚的には、
研修2日間を流れるストーリーに芯が通った感じにはなった。

面白かったのは、今回、自分以外にもう一人の講師が入っていて、
その人は自分よりもファシリテーションのスキルが高いので、
教えるというスタイルよりも参加者の活性をはかり成果は委ねるというやり方を取っていた。

ちなみに僕は専門的なノウハウを参加者に突っ込んで刺激していくスタイル。

結果はどちらも同じように満足度が高かった。
講師のやり方は一つではない。
でも大事なのは自分のスタイルがきちっと確立できているかだと思った。

2008年9月7日日曜日

研修というリレー

先週は結構大変だった。

何が一番きていたかというと開発が困難を極めた研修の初リリースタイミングだったからだ。
(説明するまでも無いが私が講師として入ってます)

コンセプト自体が難しいうえに、色々な事情があって開発が進まず、本当に研修当日はどうなってしまうか全く見えない時期が続いた。
(自分は一発目に登板することもあり、講師という立場でアドバイスをする役割で参加していたが)それこそプスプスと煙を出している開発プロジェクトを側で見ていた時は「今から抜けられないもんだろうか」と悪魔がしきりにささやいていた。(と思っても実際に逃げられはしない。逃げるフリーは後ろから撃っても有罪にはならない決まりだ)

というのも、結局最後に受講者の前に立つのは講師であり、研修コンテンツの最終評価は講師が被ることになる。良い研修コンテンツは講師の最大の武器でありそれこそイマイチな講師でも名講師のようにキラキラと演出してくれるものだが、その逆はそれ以上に強烈で、やっている講師自身の自信を奪い徹底的に惨めな気持ちにさせてしまう。下手をすればトラウマ気味に講師という職から距離を置く原因になったりもする。

それに加えて、フリーという脆弱な立場はどんな言い訳をいったとしても結局は結果が全てといって良い。「今回はあなたのせいではない」と仮に誰かがやさしくフォローしてくれたり、「不利益を被る事は無い」と発注者が保証してくれたとしても、それが高評価につながることは断じてない。

自分は高評価を出せないフリーは食べていけないと信じているし、しつこいくらい自分の肝にも言い聞かせている。その厳しさこそが企業勤めをしていた時との明確な違いだと思う。
(そういった悲哀もあってか、多くの講師は自分オリジナルのコンテンツを開発してそれでやっていくという事への想いが強い。実際は開発力が弱かったり、集客力が弱かったりで願い通りに行く事は少ないが)

ただ、この開発プロジェクトの終盤では、メンバー達が大変な危機感を持ってくれて、それこそ寝る間も惜しんで「何がなんでもエッケイさんが討ち死にしないところまでにはもっていく!」と物凄いふんばりを見せてくれた。結局、コンテンツ品質は高かいという程までには至らなかったが、開発メンバーのがんばりを間近で見えていただけに、彼らを責める気などさらさら起こらず、「どうしたらメンバー達のがんばりを形に残せるだろうか?」という気持ちが先にたっていった。

結果、今回はなんとか優・良・可で言えばぎりぎり「良」に引っかかるところにはもっていけた。
終わった時はどっと疲れが噴出したが、終わってアンケートの評価を見た時に浮かんだ言葉が

「なんとかバトンをつなげた」

というものだった。

研修に限らず多くの仕事がリレーの様にバトンをつないでいくものなんだと改めて感じた。
でも、それぞれが後の走者の事を思いやり、全力を尽くして自分の役割を全うするといった気持ちで仕事できている人はどれだけいるのだろうか。それが出来ている人は安全で信頼できるチームを持てたという幸運をもっと噛み締めるべきなのかもしれない。

フリーの講師といえども、この価値や想いのリレーの一部としてつながれた存在であり、チームという概念を軽視してはなりたたないのだと心底思った。

2008年9月1日月曜日

土壇場になると出るゾーン

久々のブログ。いやぁ8月は色々あった。

そのひとつが娘の入院。
まさか健康まっしぐらの1歳にもならない彼女が入院生活をするとは夢にも思わなかった。
病気自体がリスクの高いものだったので、久々に家族の危機的状況が来たという感じだった。
(なぜか5,6年に一回位我が家には危機的状況が訪れる)

加えて、開店休業の予想に反して8月は仕事が結構忙しい状況だった。

でも面白いことに、毎日病院で4時間娘と過ごしていたにもかかわらず、仕事もベストな状況で乗り切れた。どうやら自分は本当の危機的状況になるとゾーン状態になるらしい。

過去にもそういうことは何度かあった。中には、自宅に戻ったら中に泥棒が2人もいたという事件も。その際には信じられない怪力が湧いて1名を乱闘追跡の末捕獲。火事場の馬鹿力って本当にある(反動でその後色々な間接が脱臼気味になったが)。

今回は妻から娘の病名と入院の一報を受けた瞬間から発動。ゾーン状態の傾向としてよくあるパターンなのだが、感情が遮断されやるべきことを冷静に淡々と処理する自分がいた。
また普段の自分からしたら涎もんの効率のよさで仕事がバンバン短い時間で片がついていった。
「あんた、こんな時に冷静ねぇ」との妻の感想(「普段は感情的なのに」という含みもあるかもしれない)。

でも残念ながら、これって平時には出たことが無い。

昔、友人の大家のおばさまに言われたことが未だに心の片隅に引っかかっている。

「男は平時には役に立たない。平時になったら長生きしないで早く死んだ方がみんなのため」

オスってこんなもんなのかな。。
平和な時代には男は株を上げるチャンスは多くない。

2008年7月25日金曜日

つくづく好きだなぁと感じたこと

最近、仕事を通じて

「これ、好きなだなぁ・・」

と感じたこと二つ。

一つ。仕事と仕事の間。隙間。
できる仕事人はこの間が空いていると非常に苦痛で、休み無く予定を効率的に入れることに命を燃やしている人がいるけど、自分は平気。さすがに3,4時間も間が空くと何しよかと悩むこともあるが、1,2時間程度なら最高に楽しい。
何をやっているかというと仕事。ショッピングや遊びはめったに入れない。「何だつまらない。無粋な」と思われるかもしれないけどこれが案外いける。仕事の種類は企画系がいい。

「そういや、この間お客さんあんなことに困っていたな。。」
なんて思い出したらおもむろにチビノート取り出して、チマチマ書き始める。
「これから結構時間があるな。。よし究極のキャリアデザイン研修コンテンツでも考えてみるか。。」
またもやチビノート取り出して、チマチマ書き始める。

面白いことに企画仕事って時間がたっぷりあるからといっていいものでもない。「やらなきゃ」と思っても全然やる気が出ない。仕事と仕事の合間で、前の仕事で頭を回転させておくといい。別に思索的な仕事じゃなくても大丈夫。ルーチンワークでも十分。
頭をカリカリ働かせておいて急に間が空く。そのやること無くなった思考の隙間にさっと考える仕事を挟んであげると既に助走十分だからそのままカリカリとアイデアが湧いてくる。

しっかり仕事場でやっている仕事より、隙間でやった仕事のほうが自分への貢献度は高いかもしれない。不思議なもんだ。だから隙間大好き。


残りのもう一つ。やりたいことがあるお客さんとその実現方法をひざ詰めて議論すること

「なんだ。そんなの当たりまえじゃね」

と思われるかもしれないけど、案外そうでもない。やりたいことが無いお客さんって結構いる。やらなきゃいけないというノルマ立場上やるべきだからという理由で動いている人は決して少なくない。いや多い。そういう人は上から与えられたお題をとにかくやったという事実を作ることが大事だったりするから「それをすることで何を目指したいのか?」という問いにロクな応えは返ってこない。また、変に構えて提案書を欲しがるケースもよくある。提案書を出すことは決して悪いことではないとは思う。でも、自分の経験上、提案書を出しても「いやぁ、これは自分たち(不思議に「たち」という言葉をつける)のやりたいこととはちょっと違うんですよ」とやらないで済んだ事をほっとした様に語るケースがすごく多かった(昔の営業だった頃の話だけど)。

同じ提案を出すにしても、大好きなパターンのお客さんは先ず議論する。勝負を吹っかけるように、こちらの力を試すように、お題を出したり自らのやりたいことを題材に議論に持ち込む。そしてさんざん話して納得確信したら「OK!じゃ今日の話を簡単な形でいいから紙にまとめて出しておいて」と言う。

お客さんの立場が上で色んな営業が日参しそんないちいち論戦やっている時間が無いお客さんもいるから、先ず提案書をもらって一次選考をして、その後有望な候補とだけがっつり話あうって考えもあるだろうし、決しておかしくないと思う。
でもそんなやり方を取るいい感じのお客さんは残念ながら乏しい経験上だが会った事はないし、仮にいたとしてもフリーになった自分の管轄ではないと考えることにした。(フリーは勝ち目があるかわからない長期の選考プロセスにお付き合いする時間はないし、冗長な営業コストを添加できるような単価でビジネスはしていない。フリーは回転しているからリーズナブルな単価でやれるのだから)

キーワードオンリーやイベント名ではなく、何を成し遂げたいかわかっているお客さんはよりよい手段があるならばhowには固執しないので、こっちも提案甲斐がある。
そんなお客さんは自分の案件になりそうでなくても、相談したいと言われたら即ノリだ。金にならなくてもお客さんとブレストする中からいいソリューションが生まれたりすると興奮するし、その時生まれた思考は今まで後で絶対生きてきてるから。

ついでに余談ひとつ。
この間、ふと、「(凡人は)余計な仕事があるからこそ処理能力が上がるって考えもあるな」と思いました。
(勿論、凡人って自分も含まれます。会社員時代「余計な仕事が多すぎ」とぶつぶつ言ってましたが、そのおかげで処理能力上がった感あります。早く片付けないと昼も座って食べれなかったし、その日のうちに帰れない生活でしたからね。切羽詰れば凡人でも能力もあがりますわ。35超えてそんな仕事だらけじゃもたないと思うけど)

2008年7月20日日曜日

ワールドカフェ体験会

ワールドカフェの体験会を富士通エフサスにいる友人のサポートを得てやりました。

当初予定の人数よりも減ってしまいややこじんまりとしたため、ワールドカフェの特徴のひとつでもある集団認知的なダイナミクスが弱くなってしまいましたが、参加してくれた人たちがこの場に積極的かつ肯定的に応じてくれたこともあり、ワールドカフェの感覚やその利用可能性を十分に理解してくれたようでやった甲斐を感じることができました。

ワールドカフェは本を十回読むより一回体験した方が断然その理解が上がります(も良書だと私は思います)。
私の師匠に教えてもらった好きなことわざ「知識は体が覚える(使いこなせるようになる)までは噂にすぎない」がピッタンコで当てはまります。

また、せっかく来てくれた人のためにできるだけおみやげを持って帰ってもらおうと、実際にワールドカフェを実施した人しかわからないような重要成功ポイントもできるだけ提示させてもらったのですが、「全体総括の難しさ」や「テーマで使う質問つくりの重要さ」等、説明を聞いてもピンとくるのが正直難しい部分にも感度の良い質問やコメントが参加者から返ってきたので「おっ!やるなぁ」と感心しきりでした。

おかげさまで良い時間、良いコラボを堪能することができました。これからもこういう時間を多く作っていきたいものです。
(友人が書いてくれた感想はこちら

余談ですが、
今回サポートしてくれた会社さんが私の前の会社のライバル会社だったことが、結構招待した友人達に「なんで前の会社じゃないの(笑)?」とウケてしまいました。
確かに前の会社でやれたら良かったとも言えるのですが、今回サポートしてくれた友人は「ワールドカフェ、面白そうですね。是非、うちの会社を使ってくださいよ!友人もどんどん誘ってください。その方が楽しいから」と好奇心高く熱心に誘ってくれました。

私はこれからは知は人につき、人は流動的に社会や組織を渡り歩くと思っているので、知や情報を持った人が自然と集う魅力的なコミュニティをいかに形成するかがこれからの企業の繁栄の鍵だと考えています。今回の友人の誘いはそんなコミュニティに必要な魅力を持っていたので「ここでやらせてもらいたい」と思ってしまったわけです。

会場準備の際にその友人が発した言葉もいい響きを持っていました。

「エッケイさん、とにかく今日の参加者には楽しんでもらいたいですねぇ」

すごく共感できる言葉です。

【(自分も含めて)皆で知的に楽しみたい】

これは自分が仕事をする際の信条の一つです。

うん、楽しかった!

2008年7月15日火曜日

貢献

先週まで自分のお里である会社の5年目研修の講師をしていました。
キャリアデザインがテーマで3日間の研修ですがタイムマネジメントのハンドリングが非常に難しく自分にとって最も高難度なものの一つです。昨年からやっていますので多少慣れてはいますが、毎回「今回は参加者に満足してもらえるだろうか」とどきどきしてしまいます。

毎回「自分が到達できる最高のサービスを!」と心がけているのですが、なかなか理想には到達できません。色々と有効と思われる情報を伝えるべくたっぷりとネタを仕込んでおくのですが、「あれ言わなくちゃ、これも伝えなきゃ」と混乱しかえって空回りしてしまうこともままありました。

ただ、今回はいつもと少しスタンスを変えてみました。
自分の講師中のテーマを
「自分は参加者に十分に貢献できているか?」
という一点に集中し、常にそれを自分や参加者に全3回とも問い続けました。

これは効果的でした。
事後アンケートも全3回とも過去最高点をマークできました。
瑣末な細部にこだわりすぎるよりゴール一点に集中するのが良かったかもしれません。

話は少々変わりますが、今回も研修中に伝えたい情報を事前にできるだけリスト化しておいたのですが、研修中に話せたのはその1/4に過ぎませんでした。
これは無理に全てを話さないことがかえって良かったという(話さなくてもそれ位は用意しておくのが深みにつながる等)自分なりの学びもあるのですが、
研修中に参加者が踏み込むことによって、4倍の有効情報を取得できるのだという学びにもつながりました。

自分も若い頃を考えると他人のことを言えませんが、
自分から働きかけるのとひいて構えるのでは大きな違いになるのだなと改めて思いました。

2008年7月5日土曜日

はいてくやのー

ハイテク。この言葉、死語になっていないでしょうか。。
(最近、自分が現在でも使っている言葉が死語になっていることをやたらに発見してびくびくしております)

新宿に引っ越ししたのは去年の9月。
いざ引っ越してみると自分の仕事場に電話線が入っていないことが判明。

「これじゃ、ネットとつなぐのに、家中ケーブル這わすのも格好悪いし、基幹となるデスクトップにわざわざカードアダプタつけて無線で飛ばすのも気に食わないなー。どうしたもんだろ。。」

と腰が重くなりまくり、ダイニングテーブルの椅子にPCを置いて猫背で仕事をする生活が始まった。
でも近頃では「はいはい」と「つかまり立ち」を覚えた娘が頻繁に足にまとわりついてはケーブルを引きちぎるわ、だっこを要求するわで、まともに仕事ができない状態に。

(それはそれで「困ったねぇ」といいながら、よだれ垂らさんばかりのにやけ顔で抱き上げる自分もいるんですがね(笑))

おまけに相方が「掃除がしにくい」「いつまでここで仕事する気?」「子どもに危ない」とかちくちく刺してくれるので「そろそろ潮時か、しょうがない線でも這わすか」と思って暗い気分になっていました。

ところが最近、家にあるコンセントにアダプタを差し込むだけでLANケーブルの様にデータを飛ばせる装置が発売されていることがわかり、早速購入して試してみたらばっちり機能した。
(昨今の無線LANの方が早いとの話だが我が家ではそんなに違いは感じない)

物置化していたマイオフィスがようやく今日から稼動しました。
技術万歳です。ほんと。

コンセントを使って電線を通信回線に利用するという技術は実は10年以上も前から注目されていたのですが、当時は混信制御が難しくいつ市販ベースに到達するかわからなく、すっかり忘れていたのですがいつのまにか市販されていました。
技術は進歩し続けているんですねぇ。。

(↑ しっかし、元IT会社出身のセリフではないなぁ。。。)

2008年6月20日金曜日

能力開発屋が惚れるCM

既に話題が古くなっていますが、ナイキのCMはいいですね。
http://jp.youtube.com/watch?v=wItKyTltJWM

若手サッカー選手が力を認められて新しい挑戦の場を与えられ、さらなるレベルを見せつけられて自己研鑽して、さらに上の場に上がっていく。そんなシーンを彼の目の角度で写しています。

これ、見てるだけで燃えます。
特に個人的にはマテラッツィ(ワールドカップであのジダンに頭突きをさせたDF)とド突き合いをしているシーンはリアリティがあって最高。
「ネクストレベルへ行け」
という邦題も悪くないですね。
もう能力開発に携わっている自分には強烈な興奮を与えてくれます。
でも普通の仕事でステップを上がっていく感はなかなか得られないですよねぇ。
この辺をうまくキャリアパス設計すれば、会社キャリアももっと燃えられるのかもしれません。
新人に仕事の腕見せつけて、C・ロナウドみたいに小ばかにした投げキスしたらおもろそー(笑)

2008年6月9日月曜日

この仕事の好きなところ

ここ数年、自分の後輩や知り合いが人材開発(能力開発というべきか社員教育というべきか。。この業界を説明する言葉が難しい。。)に仕事を移す機会が増えており、自分はその事で、キャリアチェンジやイベント企画について結構相談にのることが多い。

最近、そういった後輩の相談にのったイベントがうまくいったという感謝メールや他者からの報告が色んなところから舞い込んできている(イベントの季節ですからね)。

そんなメールを読みつつ思うのはこの仕事は本当の意味でやりがいがあるなということだ。
(勿論、全ての仕事にはやりがいがある(はず)で自分はそれをわかっていないだけとは思う)

この仕事の自分が好きな部分は「品質に思いを持って考えれば考えるほど結果に現れる」というところだ。逆に考えると「思考とスキルが浅い場合に、それでもラッキーヒットやホームランが出ることは殆ど無い」ともいえる。ギャンブル要素が少ないのかもしれない。
(自分は一か八かはあまり好きではないし、そういう人間に賭け事の神様が微笑むことはあまりない(笑))

考えてやったらやった分、クライアントに満足をもたらすことができるし、自分の評価もスキルも上がるこれはいい仕事だと思う。

「ちゃんとやっているはずなのに結果が出ない」と言う同業者や同僚とたまに出くわすが、そういう場合、中途半端な情報収集(対象者を取り巻く環境(文脈)を知ることはものすごく重要だ)やスキル研鑽の未熟さ、熱さだけに任せた自分だけの思い込みで仕事をしているケースが多い気がする。

(まぁ、ねちっこく情報収集させてくれなかったり考えさせてくれないクライアントや上司が阻害しているケースも少なくないが、世の中には本当に良いものを志向するお客様は大勢いる(その良さに気づいていないクライアントも素敵なクライアント予備軍だろう。そう考えると筋の悪いクライアントはそう多くないかも)。上司が問題ならば圧倒的に力で凌駕してしまえば敵対関係ではなくなることがある。面白いことに上司の切り札にがらっと変身してしまうのだ。逆に中途半端に実力拮抗すると悲惨)

でも、そんな素敵な商売(「ショウほど素敵な商売はない」にひっかけた)なのに、魅力的な側面にフォーカスしないで、ネガティブな側面のみにフォーカスしてやっつけ仕事をしている人たちが少なくないのでがっかりすることも多い。(どんな仕事にも魅力もつらさもある。じゃあ一体どんな仕事がしたいんだ?)

だから、後輩達にはがんばってもらいたい。彼ら彼女らが、すごく真剣考え悩んでやりきった仕事が良い結果をもたらしているのを見ると仲間が増えてく感じでうれしくなる。
「なぁ、この仕事面白いだろ?」って。

2008年5月31日土曜日

仕事の法則

「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する。―やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる。仕事は、まだ無能レベルに達していない人間によって行なわれている。」(ピーターの法則)

は聞いたことありますよね。でも何度見ても得心してしまう。

「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」(パーキンソンの法則)

会社員の頃を考えると本当にそうだった。
プロジェクトならエンドが決まっているのでまだましだが、営業事務や事業管理、スタッフ等は仕事自体が持続しつづけるのでものすごい膨張状態だった。

パーキンソンは官僚組織を分析してこの法則を発表したそうだ。

独立して一人になるとこの現象は起こらないように思う。やはり階層型組織のなせるわざなのだろう。

但し、「独立時のレベルから多角的な能力向上が起こりにくい」という現象はありそうです。

意に反する仕事が時に自分の新しい能力を開発することもあるというのが企業組織にいるメリットともいえるでしょうね。

うーむ心が動いた

気に入りのコラムの中で、城山三郎さんが好きな言葉として紹介されていた。

「形式にこだわるには人生は短すぎる」(ローレンス・スターン)

うーむ。素敵な言葉だ。長く語るのは無粋だろう。

2008年5月26日月曜日

目的の力

通常onでは書かない娘の話をば。

うちのは現在四つんばいはできるがハイハイできない状態です。

よせばいいのに、こんな商売をしている私はついつい

「なんとか成長を加速できないか」

と思ってしまうわけです(笑)

そんなわけで、こっそり、彼女が四つんばいになった時に
ハイハイの四肢の動かし方を手を添えさりげなく体に覚えこまそうとするんですが当の娘は一向に意に介さない様子。
さすがにやりすぎ感もありあきらめたのですが、ついこの間こんなことがありました。

娘が一人で遊んでます。お気に入りはウエットティッシュの入れ物の様です。最初は手でこねくりまわしていたのですが手が滑ってそれが大きく前方に飛んでしまいました。

すると、娘はハイハイでするするとティッシュを取りに行くではないですか。

how(テクニック)はわからなくても、本当に魅力的なwhat(目的)があれば人は動けるんですねぇ。。

基本でした。。

でも魅力的なwhatを追う前に、できるだけポジティブにテンションを上げて(娘の場合ほめてご機嫌にして)おくと困難を克服するエネルギーがチャージされるようです。

幼児とか関係なく適用できるような気もします。

娘よ、お父さんこの学びをちゃんと仕事で使わしてもらうぜ。

2008年5月22日木曜日

ストレングス・ファインダー

「さぁ、才能に目覚めよう」を読んだ。

この本は結構前に出版されたけど(米国ではもっと前)最近になって新刷され売れているようだ。
最近流行のポジティブ心理学の考え方と同期が取れていて自分の強みにフォーカスをして、それを伸ばすことをすすめている本だ。
内容全てに共感できるかは、読んだ人次第だが自分は殆どの部分で考えが一緒だった。

そしてこの本の最大の売りが、本を購入した人はWEBでギャロップ社が開発したストレングスファインダーというツールを使うことができ、それにより自分が持っている5つの資質(才能と解釈しても遠くは無いでしょう)を知ることができるのだ。

分類されている資質カテゴリの総数は34。この中からの5つの組み合わせだから、一緒の資質の人に当たる確率は高くは無い(3300万通りある)。

ちなみに自分は以下の通り(現在の仕事スタイルともあわせてみる)

○着想(Ideation)
仕事に関する新しいアイデアを自分で創造したり、他人の画期的なアイデアに参画することに非常な興奮を覚える。(嫌いな言葉は「いいから言われたとおりにやれ」)

○戦略性(Strategic)
クライアントのキャリアデザインやビジネスパートナーが成し遂げたいこと、もしくは自分の行動において戦略的にアプローチすることは欠かすことのできない重要なポイントである。
(不得意な言葉は「いきあたりばったりor先ず体でぶつかる」)

○個別化(Individualization)
自分や他者の個性や強みを愛し、チームにおいてはその多様性を統合してパワーフルな存在になることを志向する。
(嫌いな言葉「没個性」「均質均等な集団」「平等」)

○学習欲(Learner)
仕事=学習・成長というキーワードは自分にとって非常に重要。経験から学習することへのこだわりも強い
(嫌いな言葉「流して仕事をする」「学習性無気力」)

○最上志向(Maximizer) <存在する可能性を最大限発揮させる>
多くの働き手が自分の潜在能力を十分に発揮できていない現状が仕事上の一番大きな問題意識である。その代わりキャリアコーチング等のクライアントや部下が妥協すると厳しく突っ込む。(そもそもカウンセラーという表現は自分には向いていない)
仕事人、アスリート、芸術家が自分のミッションに強くコミットして高いパフォーマンスを上げる姿に熱狂する。
但し、各人各様のレベルで上記だったら良いということ。最上のものだけが良いという選別思考は無い(むしろ嫌い)

かなり納得の結果だ。

本の中で気に入った考えは、
「(この)資質で目指すべき職業が決まるわけでは無い」とはっきり言っていること。
同じ資質の人でも違う職業で資質を発揮することにより多様なキャリアが形成されるそうだ。
キャリアコーチングをしている経験からの感想だが、人はどっかに自分の天職が存在しているという考え方から脱却できない人が多い。ある程度の資質とのマッチングは必要だが、後はそれを「むりくりにでも天職にしてしまう位の覚悟」がなければいいキャリアなんかおくれるわけがない。

「強みにフォーカスした弱点の克服法」も参考になる。

以上、興味を持った人は購入して読んでストレングスファインダーをやってみてはどうだろうか?
その結果を持ち寄っておしゃべりを楽しんでみたい。
これを使ったキャリアコーチングも是非試してみたいものだ。

自分が気に入っている自己分析ツールには他にMBTIがあるが、自己という存在を深く内省するにはMBTI、キャリアデザインによりフォーカスしてアクションプランをたてるのにはストレングスファインダーがより効果的かもしれないというのが今の感想。
(ちなみにこの両者どっちが正しいとも思わないし、そういった議論は無意味で自分に利するところをいいとこ取りすればいいのだと思う)

2008年5月18日日曜日

ちょっとすっきり

金曜日、土曜日と本間正人さんの新研修「組織開発ファシリテーター」を受講してきた。
(ちなみにこの研修は、組織開発(もしくは組織変革)にAI手法を導入したり、その導入の担い手(ファシリテーター)になる際の要諦を教えてくれるものです。ちなみにまだチューニング過程にあります)

その中の話ですっきりすることができたこと一個。

AIソリューションフォーカスの一番違いは、AIは組織研究から生まれてきたもので、ソリューションフォーカスは個人向けのブリーフセラピーから生まれてきたものですね。組織向けのアプローチの仕方としては殆ど同じと考えても良いかもしれません」
とのことだった(私の聞き違いでなければ)

以前から複数の友人の口から話を聴いていたのだが、最近ようやく「ソリューションフォーカス」の本をきちんと読んだ。読んだのはいいのだが、コーチングぽくもあり、AIぽくもあり、NLPぽくもあり、複雑系らしき概念も出てきぃーの、何だか違いがぴんと来ないなーと困ってしまった。

巻末のあとがきを読んだところ、NLP複雑系の生まれた機関とルーツが一緒(コーチングで使うスキルはそもそも色々なものから引っ張ってきている)と分かったのでだいぶすっきりしたのだが、AIだけがその違いがよくわからなかったのだ。

出自が違うのね。。

2008年5月16日金曜日

久々に仕事でキタ

たまたま、前職の会社で研修講師(MBTIとワールドカフェをダブルで実施というなかなかユニークなものだった)をしていた時のこと。

研修も終盤に近づき、発注先の事業部の人事セクションの方々がサポートとして来場した。するとそのメンバーの中に見覚えのある若い女性が。

「うーん、どこで会ったかな。。」

暫く考えた後思い出したのだが、2年前、5年目社員向けにキャリアデザイン研修の講師をした時の参加者だった。

その当時すでに独立を意識していたので、できるだけ研修講師の機会を得ようと必死になっていたのだが、せいぜい1、2日間位の講師しかやる機会がなかった。(会社はマネージャーやコンサルタントとしての役割を自分に期待していたので)

そんな中、ついに手にした3日間の講師機会。それも自分の最もテンションがあがるテーマ「キャリアデザイン」。他の講師の人たちは外部の会社の重鎮といわれる面々。でも独立してやっていくなら絶対負けたくないと全霊突っ込んだ。(終った時には真っ白に燃え尽きた墨みたいになったっけ)

その女性はこちらに笑顔でやってきて、「エッケイさん、お久しぶりです」

自分の記憶の中では、その女性はたしかその当時プロフィット部門でスタッフ部門でなかったので、一瞬、「(なぜ、ここにいるんだろう?)」と思ったのだが、その後すぐ記憶が鮮明になってきた。

「やぁ久しぶり!たしか、人事系の仕事に興味があると言ってたよね?ひょっとして異動できたの?」

「そうなんです。色々なことがあったんですが、念願かなって最近異動できたんです!」

この会社はシステムエンジニアが本業なのでそうそうスタッフ部門には異動するのは難しいのだ。(それになぜか不思議なことに人事系の仕事に興味を持つ人が多く競争率の高い狭き門なのだ(笑))

「よーく来れたねぇ。」

「ええ、本当に。でも、これって、あの時にエッケイさんの研修受けて、この仕事がしてみたい!と思ったのが契機なんです!」

多少のリップサービスはあるのかもしれないが、この言葉を聴いて久しぶりに鳥肌がたった。

自分がキャリアをメインテーマにしているのも、クライアントが自分の想いを現実化して納得感のある仕事人生をおくるサポートをしたいと強く願っているからだが、残念なことに、たとえ研修等で刺激を受けて心にインパクトを受けたりやりたいことが明確になったとしても、実際の行動に移す人は多くない(自分のキャリアにおいて何かを決断して行動するというのは、エネルギーもいるし勇気もいるのだ。そもそも研修が参加者の行動変容を起こす事自体も実現率は低いのだ。)

なおかつ、自分は組織を抜けてフリー稼業なった身の上なので、研修で出会ったクライアントとはほぼ一期一会でその人がその後に行動を起こしたかどうかを知る機会は殆ど無い(これがフリーになって最も寂しい部分)。

自分が想いを持って強くコミットした仕事で、一時的な成果ではなく、その成果がその後も継続されていることを知ることができるというのは無上の喜びだ。

ましてや、キャリアというテーマは人の人生の幸福と強く結びついている。

いやー、テンション上がったなぁ♪

2008年5月2日金曜日

営業職に関する調査結果から思ったこと

日経NBonlineに営業職に関する簡単な調査結果が載っていた。http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080421/153769/

内容自体は目ウロコなネタではないが、ちょこっと思考を刺激された。

記事の中で顧客を獲得する秘訣として営業職から挙げられているトップ3は、

①「相手の話をよく聞く」

②「商品・サービスの良さを自分の言葉で語る」

③「自分を信頼してくれる優良顧客を作る」

だそうだ。

これは営業をしている人には目新しさはかけらも無いだろう。
自分も前社の営業職だった時に目にしたら、「はん!そんなの知ってるよ。耳タコだよ!」と呟いたことだろう。

でも、この3つを徹底的に鍛えて、実践できている人って本当に少ない。超一流の営業って、案外この3つを愚直に徹底している人なのかもしれない。


よくこの3つを見ると結構スキル難度も高い。想いを持って行動すればスキルは無くてもなんとかなると思っている人もいるかもしれないが、想いだけでは実現できないと自分は思う。(自分は何回も言っている様に、「想い」と「スキル」の両立がプロの原則だと思っている)


①は傾聴技術の研鑽は必要だ。それも話し手の文脈(おかれた背景や発言の上位意図)にもフォーカスする必要がある。聴くという行為をきちんとやっている人であれば、当然その一環で論理思考も切ってもきれないことはよくわかると思う。

②は言語化スキル。自分が持つ知識や経験を相手に伝わるようにきちんと言語化できる人はそんなに多くない。これも論理思考は必要。言語化といいつつノンバーバルの影響力も無視できない。

③信頼形成の技術は奥が深い。リーダーシップやその人が長年かけて培う人間性にも触れる。

また、上記は互いに密接に関りあっている。
それらを考えると奥が深く修得するまで非常に長い道のりが必要なものなんだと思う。
(鍛錬方法によっては近道は無いが遠回りしない道を選べるだろうが。。)
この道のりを愚直に歩き続けた人とそうでない人は圧倒的な実力の開きが後になって表層化するんだろうな。

ちなみに私は営業としてはいまいちだった。落ち込む私を後輩はよく慰めてくれたが一流ではないのは確かだった。

でも面白いことに、この職業でプロになることを志向して、カウンセリングやNLPを学んでからの方が営業的成績はダントツに良い。

こんなことならもっと早くやっとけば良かったと、本質からずれたことを時々考える自分の小人ぶりが笑える。

2008年4月29日火曜日

自己変革ラボ

現在、講師をする予定のある研修開発サポートをしている。

この研修、なかなかコンセプトにこだわりもあり、筋の良い理論も中心に据えられていて、どんな研修になるか楽しみだ。うまく仕上がったら講師としてもやりがいのある研修になるだろう。

この研修、参加者のコンテキスト(考え方、行動の仕方、判断の仕方)に変化が起こるように働きけることを目標としている。(専門用語でダブルループラーニングを狙ってます)

これからの研修はこうあるべきだなと自分も常日頃から考えてファシリテーションやコーチングスキルを磨いているのだが、研修コンテンツと講師の、想いと技量がバランスよく合うことは本当に少ない。研修コンテツが本質からずれている割に妙にテクニックや理論に懲りすぎていたり、講師がコンテツや参加者をつかめずちぐはぐな雰囲気になったり、参加者の一時的な満足にのみフォーカスしてウケ狙いなエンターティナーに走ったりするケースは多い。

以前にもブログに書いたが、
これからは研修の場は「知る場」ではなく、
「自分をパワフルに変えるための実験の場(そう、さながらラボラトリー)」
になっていくのが望ましいと思う。

講師はそれを上手にサポートするために、
きちんとした知識背景を持ち、参加者の内面に働きかける技術を磨いておくのが必要だ。
(がんばろっと)

この研修の状況はまた書きます。

2008年4月23日水曜日

品評されるのも慣れてきた

最近、

「エッケイさんのお手並みを見たいのでなんかやってください」

「あなたがふさわしいかわからないのでデモしてみてください」

という機会が増えた。

子どもの頃からこういった他人に試されるとか選考されるというシチュエーションが嫌いでしょうがなかった。体が弱く発達も遅れていてあまり優れた子どもでもなかったからコンプレックスがあったし、何より結構繊細だったので他人に駄目だしをされるとすごく傷ついたからだ。

同世代の子どもに対する親戚の優劣批評、スポーツでのレギュラー選考、小論文テスト、大学のゼミ面接、就職面接、これらのイベントが嫌で嫌でしょうがなかった。特に人格に近い部分を見られるようなものがだめだった。

「何で他人にいい悪いを評価されないといけないんだ?評価するあんたはどれほどのもんなの?」

心にそういう気持ちがうずまくが、大概にしてそういう立ち場の人間は優位のある立場に収まっているから反発しても
「ああそうですか。残念でした。はい、落選。」
で終わり。こっちも弱者慣れしちゃって、愛想笑いしちゃったりして後で猛烈に自己嫌悪になったりする(実はそういう時ほどマイナス評価が多い)

でも、最近、そういう他人に試されるというシチュエーションに慣れてきた。
フリーで肩書きの無い人間を採用するわけだからそれに足る人物かどうか知りたいのは当たり前の話だ。仕事の選考は自分個人の人格とは全く別の話だ(選考する側は案外人格にフォーカスしているケースがあるけど)

まぁこういう機会でいちいち物怖じしていたら仕事なんかできないしねぇ。そもそも、それだけの仕事ができる自信があるからフリーになったはずでもあるわけだし(本当か?(笑))

元々、人前では緊張しない性質だし、NLP等を修得してからパフォーマンスも落ちなくなった(普段よりよい時もあるくらい)。

後はこちらの気持ちの問題だっただけなのかもしれない(幼少時のトラウマ克服ということか。。)。

会社員時代の晩年は、評価する立場にも回ったからよくわかるが、案外選ぶ側はノーアイデアの時も多いから心配するだけ無駄ともいえる。

目利き力のある人であれば、相手の実力が明確に引き出せる様なセンスの良い質問をしてくるから、楽しくその挑戦に応じれば良いし(だめならだめで理由は明確)、

「自分たちが実現したいことを助けてくれる人はどうやったら探し出せるか」苦労している人は不安な気持ちを持っていることが多いからその不安を受け止めて課題をクリアする方法を一緒に考えていく様に時間をすごせばいいし(自分がお眼鏡に適わなくても、いいヒントが出れば職業的な満足感は得られるから結構事後は気持ちがいい)、

何が知りたいのか分からない、質問も曖昧、この分野での知見度も不明、人を遇する際の最低限のマナーも無く尊大な人だったら、どうせ無理に取っても絶対仕事はうまくいかない(卑屈に仕事をとって、はまるとストレスも倍増する)。

よく考えればそういうことなんだよなぁ。そうだよ。これからは

「お客様、遠慮せずお手にとってよーくご覧ください。(ヒゲ生えてるんで)手触りは悪いかもしれませんがお品はそんなに悪くありませんよ。なんならお試しもできますよ。」

ってことでいきますかね。

2008年4月20日日曜日

仕事でこだわる

テレビで最近有名になった焼酎の生み手が紹介される番組をやっていた。
「富乃宝山(芋)」「兼八(麦)」「萬緑(米)」かなり有名となっている焼酎だ。(ちなみに兼八は自分の大く好物)

生み手の年齢は35歳から40歳くらいで良い仕事をする人が持つ雰囲気を醸し出していた。(もしかしたら成功体験がそういった風格を醸成したのかもしれない)

良い仕事をする人といっても、カリスマ風でもやり手なビジネス狩人といった雰囲気ではない。信じることに誠実で、こだわりの強そうな折れにくい心を持っていそうな感じといえば良いだろうか。彼らが作った酒が認められるには相当な苦労があったようだが、(成功の保証はないなか)こだわりに徹して壁を突破していたそうだ。

まさに職人魂といったところだが、彼らは蔵主の息子という立場で、職人というよりボンボンor経営者といった位置づけの人間たちだ。以前のイメージで言えば弱弱しく蔵をだめにしそうな感じだ。
ただ、彼らの共通点が面白い。蔵主の子といってもいつ倒れてもおかしくない蔵で、その親も「無理に次ぐ事は無い。好きな道を歩みなさい」的な育てられ方をしていたようだ。そんな中彼らはある期間フラフラした結果、焼酎つくりを自身のコアにすべく、強いられてではなく自らコミットして蔵に戻っていったようだ。自分で選んだ道だから、他責になんてできっこない。とことん仕事にこだわったようだ。

やっぱり良いものには作り手のこだわりがこめられている。
支払える金があるからといって、仕事の愚痴や責任逃れの自己弁護をしながらこの酒は飲みたくはないもんです。
いい仕事して、内側からじわじわ出る満足感とともに友と楽しく味わいたい、そんな気になった。

しかし、最近、35から45位のやつらやその仕事がスポットライト当たるようになってきた感じがする。決してフリーに限らない、組織に所属する人でも結構注目が集まっている。以前なら所属する会社のカーテンに隠れて個人に注目が当たることは少なかったはずだがだいぶ様が変わってきている。もちろん仕事は個人だけではできるもんじゃないが、それでも以前より個人の持っているもの(決してスキルだけの話ではないだろう。想いの強さや信念をも)が問われる時代に確実になってきている。
面白い時代だ。

2008年4月13日日曜日

outputの重要性

「(知識や情報の)inputも大事だけどoutputも同じ位大事だからね」
研修等で結構良く自分がいう言葉だ。

その際に説明として自分がつけるのは、
「知識や情報は生ものだから放置すると腐って使いものにならなくなるけど、自分以外に発信することにより(他者から更新や追加が行われて)常にその情報の鮮度が保たれる。だから知ることで満足して偉くなった気でいたらだめだよ。今は知ってることが偉い時代じゃないからね」
だったのだが、
脳の仕組みからoutputの重要性を提起しているニュースを見つけました。

日経NBonline(閲覧には登録が必要)で脳学者の池谷裕二さんが米国学者の研究を紹介してくれてます。
「脳は「入力」より「出力」で覚える」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080402/152046/?P=1

その中で池谷さんが書いている文章を紹介すると、

「つまり、私たちの脳は、情報を何度も入れ込む(学習する)よりも、その情報を何度も使ってみる(想起する)ことで、長期間安定して情報を保存することができるのだ。」

彼は脳にある海馬という部分の研究で特に有名なのだが、海馬は短期記憶を長期記憶として格納するかをマネージするところだ。

つまり「inputばっかりがんばっても記憶で残すには効果的とは言えない」ってことになる。
さらにいっちゃうと「得たネタは使ってなんぼ」ってことになる。

さらに注目したのが上記の文章で「・・・使ってみる(想起する)ことで・・・」という部分。使わなくても想起するだけでも効果が期待できるってこと。
そこでお願いしたいのは、研修やセミナーに行ったらただ聞いているだけでなくて「どう使えるか?」「こう使ってはどうだろ?」と得た知識を利用しているイメージを湧かせながら聞いて欲しいってことです。

人によっては当たり前だろ?と思う方はいるかもしれないが、自分が観察している範囲ではできてない人はすごく多いです。

コーチングや研修やっていて伸びているクライアントは、よく聞いている人ではなくて、そこで得たネタを使っている人です。まちがいない。

ちなみに、このネタ、これからまめに使いますよー!わたくし(笑)

2008年4月10日木曜日

新人の目

ちょっと間が空いてしまいました。

どうも計画的にコツコツ日々思うことを書くというのは性格ではなく、「書きたい!」という衝動が盛り上がってきたときにガンガン書くというのが自分スタイルのようです。
これはブログとして閲覧されにくいパターンなんでしょうね。また、作家になったら最悪で編集者から逃げ回り挙句の果て缶詰されてしまうタイプかもしれません。

さて、世間は新入社員(正確には新卒)の季節ですね。
色々な記事で入社時の訓示が披露されています。その中で比較的よく話されているものが
「新入社員の新鮮なものの見方で新しい風を会社に吹き込んでもらいたい」
ですが正直これには違和感を感じます。

これって、既に組織に入り込んでいる人間の視点だからです。「何が既存なのか」を理解していないから新鮮なのは当たり前だと思います。最初のゼロベースは新入社員自身が(意図的に)出している価値とは言えないでしょう。メッセージの出し先が間違っていると思います。

このセリフは既に会社で働いている人間に語るのが真っ当だと思いませんか?
「新入社員はゼロベースの視点で入ってくる。(我々はそれを良いトリガーとして)彼らの率直な感想を聞いて今一度自分たちを見直してみよう!」
これが正しいメッセージだと思います。

新入社員(新卒)に出すメッセージとしては、
まず「まず(もがきながら)何が既存かなぜそうなっているのかをきちんと理解しよう」、
「そしてある時間が経過した後に、積み上げてきた自分の型を壊して改めてゼロベースで再考してください」が良いと思います。

これは楽なことではないでしょう。
作り上げた自分の(思考・行動の)型は従っていればスムーズだし快適だから人間の本能からすると手放したくない。でもこれはある意味思考停止状態であって、環境の変化に適応できなかったり・競争力を失うことにつながる。だからこそ、人間は快適な状態を自ら手放し常にゼロベースに立ち返り考え行動する必要があるのだと思います。

そういう勇気を持って欲しいとメッセージするのが先達のなすべきことだと思います。
自分が受けている感想(新鮮さ)を意識していない出し手に強化してください(より新鮮になってください)というメッセージをしてもゆがむだけです。

以前、入社数ヶ月の社員と研修後の飲み会で語り合ってた時です。彼らは会社・組織・仕事に関する不満を面白おかしく話してくれるのですが、どうも図式が「既存の会社・組織・仕事=旧く、凝り固まっている(間違っている)」「自分たち=新しい視点、これからあるべき姿(もろ手をあげて受け入れるべき)」となっているのです。
まぁこの手の話は珍しくないし自分も新人の頃はたらふく吹いてましたので彼らを否定する気はさらさらなかったのですが、あまりに意気揚々と語るもんですから「その自信の根拠は何?」と意地悪心で突っ込んだら、
「研修の時に経営陣がそういったから」
ということだけが根拠の様でした。しょうがないので「おいおい、そういう思考自体がゼロベースじゃないぜ」と説明する羽目になりました。

「経営陣の方はもう少しメッセージングのあり方を意識してもらいたいなぁ」と感じてしまいました。
本当にゼロベースの新入社員を出だしから変な色に染められるても。。。

2008年4月2日水曜日

被コーチングモード

先日、プロでコーチングをしている人をコーチングする機会が複数回あった。

こういう時、非常に面白く感じるのだが、
コーチングに慣れている人は必ず「コーチングされモード」に変身する。(こちら側もある程度コーチングをしているとこのモードに入る切り替えタイミングがわかるようになる)

このモードに入ると、クライアントは勝手に自ら気づきマシーンみたいになるので、あまりコーチの技量は問われないといえるかもしれない。こちら側はクライアントの気づきモードを邪魔しないことだけを心がけて、色々な角度で質問を打ち込むだけに集中すればそれでOKといった感じである。
この状態になるとクライアントは勝手に「ん。ああそうか。」とか「なるほどな。。」「ふん、ふん、ふん」とぶつぶつ呟いた挙句「どうもありがとうね。おかげで面白いことに気づきましたよ」と満足げに終了する。お礼を言われたこっちの方が恐縮してしまう。

こういう事象を捉えて、自分は、「クライアントが自ら気づくために壁打ち用の壁を探している」と表現している。あるベテランコーチに聞いたら「かえって、あまり小賢しくなっていない半素人の方がどんな角度から質問が来るかわからないので想定外の気づきが得られて面白い」という言い方もしていた。

以上のことをふと思い出しながら閃いたのだが、
「被コーチングモードに入るためのトレーニング」を作ったら面白いのではないかと思った。
(研修になるか継続的な取り組みになるかは未定だが)
最近は企業のリーダー向けのコーチング研修が盛んだ。ただ、数回の研修で、会社の上司が、部下に対して、ラポールを形成して、部下を気づきが誘発されやすいモードにするなんて芸当を、会社から期待されるなんてちょっとかわいそうだ。

上司は最低限のコーチング的質問スキルだけは習得しておいて、部下がそれを利用する(要するに部下の方から取りに行く)形式に変えてしまうのだ。当然、上司は最低限の質問技術がなければ「あの人はいまいち」と言われるが、部下のほうもあまりに気づけないと「学習センスないんじゃないの?」と軽くプレッシャーをかけられる感じな方が本質的ではないか?

ひいてはその方が部下のためにもなる様な気がする。「成長できないのは上司のせい」なんて理屈が通るのは甘っちょろい会社だけだもの。

2008年4月1日火曜日

「プロ論(才能開花編)」から抜粋

おがじゅんさんのリクエストにより、本中で自分が気に入った著名人の言葉を。
(コメントが殆ど無いのでコメントリクエストに弱い(笑))

人の価値観や置かれている環境は様々なので、全てが読んだ人の気に入るかは分かりません。
色々な人が色々な角度で語っているので、実際に読んだ方がいいかもしれませんね。
読んだ人は読んだ人なりの感じ方をすると思います。

「天職のようなものを見つけたいと考えている人も多いと聞きます。自分にぴったり合い、心地よく働ける仕事がるんじゃないかと。でも天職かどうかなんて、実は永遠に分からないと思います。(中略)結局そんな単純なものではないと思うんです」
(立川志の輔)

「何をすれば分からない人も多いと思う。でも若いうちはそれが普通なんです。若いのに自分の天職が分かっていたら、逆に気持ち悪いですよ」
(夢枕獏)

「今での日本は製造業ベースの社会でした。何事も起こさず、無事にすべてを終らせるのが社会全体の価値だった。でも知的創造社会では違います」
「知的創造社会は、ビジネスと趣味の境界をすごく曖昧にします」
(森永卓郎)

「得意とか苦手とか実は関係ないんですよ。むしろ苦手なものの方が味が出るし、必死で努力するからいい結果が出たりする。本当は、最初からその人に向いている仕事なんて無いんです。これしかないと思った瞬間に、その仕事は天職になるんです。悩んで悟ったのはそういうことでした。でも、悩んで悩み抜いたから出せた結論だったんです」
(丸山和也)

「才能を信じなければ努力はできない。でも、才能を過信してしまったら努力はできない。才能はみんな持っているけれど、汗をかかせてこその才能。それを忘れないで欲しいと思う」
(浅田次郎)

「自分の弱さや不完全さを後ろ向きにとらえないことです。誰かの心を強烈にひきつける魅力は、実は多くの場合、弱さや不完全さの中に潜んでいるんです。」
(石田衣良-作家)

「考え方ってどんどん変わっていっていいと私は思うのね。絶対的な信念に凝り固まって、そこから動けない人って成長力が無い人だもん。そして成長できないとどうなるかというと、年を取るのが悲劇になる。だって、人間、中身が同じなら入れ物は若い方がいいに決まっているんだから。内的に成長していないと魅力の無い人になってしまうということです。」
(倉田真由美)

「悩んだりめげたりしているときは、自分が何と対峙しているのか、しっかり整理できていないことが多いんです。だから漠然とした大きな何かを恐れ、これは無理だと弱気になってしまう。まずはその大きな何かを分析してみてください。その中の何と対峙しているのか正面から向かい合ってみてください。そうすると壁はずいぶん違って見えると思います」
(古賀稔彦-柔道家)

「人は表現する動物なんだと思っています。その表現方法のひとつとして仕事がある。だから僕が何より大事だと思うのは、「その仕事を通じて何をしたいのか」ということ。自分自身の根っこの部分ですね。そのために仕事をしている。根っこがはっきりし、仕事との関係性がわかっている人は、結果を出せると思います。成果やお金は後からついてくるものです。逆に根っこがなく、例えばお金のためだけに仕事をすればどうなるか。お金が満たされれば、それ以上の仕事はしないでしょう。つまり、仕事人としての成長は、そこで止まってしまうということです。」
(coba)

面白いなと思ったのは、著名や頭よさそうであればあるほど良い言葉をしゃべるわけではないってことでした。

2008年3月31日月曜日

読後感想(プロ論)

様々な分野の著名人が自分のキャリアストーリーと得た学びを
B-ingで語った記事で構成されている
「プロ論(才能開花編)」
「プロ論(情熱探求編)」
を読んだ。

正直、キャリアという視点ではもう少し鋭い掘り下げをしてもらいたいと感じたが
(特にインタビュー最後の総括「成功の哲学」はきついと思う)

でもさすがに多くの人に著名人として知られた人物105人分のストーリーを読むことはためになった。
当然色々な価値観があるので賛同できる人もいれば賛同できない人もいるが、彼らが共通で語っていることを知ることや、同じテーマを色々な視点で解釈しているのは読んでいて面白いと思う。

また、これらの人物はキャリア論に通じているわけではないのだが、成長に重要といわれている胆を自らの体験から導きだしていることもすばらしい。

走り読みでも目を通されてはどうだろうか?

ちなみに、自分が印象深く感じたセリフの一部を「プロ論(情熱探求編)」からあげてみる。

「会社を変われば、すべてを変えられえるという幻想が闊歩している。結婚すれば幸せになれると思っている人と同じです。結婚しても幸せになる努力をしていなければ、幸せになれないでしょう」
(秋元康)

「たまたま面白い小説が書けたから作家になるんじゃない。自分の生き方を作家という方向に持っていくことで作家になる。」
(鈴木光司-リングの作家)

「やりたい、やりたいと言いながら、やらないヤツ、多いでしょ?それから、できないのにやっているヤツ。芽が出なくても好きで続けているなら構わないけど、「オレはこんなところにいる人間じゃない」って言いながら続けている人、結構多い。やりたいことと、できること、両方を見極めていかなきゃだめだと思うんですよ」
(北村龍平-映画監督)

「本来、仕事というのはみんながそれぞれの名前で語られるべきものだと思う。(中略)だから会社に入るときに覚えておかなければならないことは、あなたの職業はあなたなのだということ」
(日比野克彦)

いかがでしょうか?
気が向いたら、後日、「プロ論(才能開花編)」からも抜粋します。

2008年3月30日日曜日

【計画された偶然】祭り

あるテーマに強く興味を持ったりそれ(or夢)に向かって行動していたりしていると、偶然なんだけど、とても偶然と思えないその人にとって好ましい出来事や奇妙なシンクロが起こったりすることをキャリアデザインの分野では【計画された偶然】と呼んでいる。
(↑クルンボルツという人が提唱した、最近のキャリアデザインの主流的考え)

この【計画された偶然】は良いキャリアをすごす人には共通して頻発すると言われているものだが、
最近、この現象がやたらに自分の周りで起こっている。
以下抜粋すると、

たまたま、日経NBオンラインで読んだ記事に早稲田ラグビーの監督の中竹氏(その筋では有名な)コーチ平本氏のコラボレーションが載っていたのだが、中竹氏とは以前飲んだこともある友達で、平本氏は自分のコーチングの師匠でNLPを習得するきっかけになった人だった。またそのコラボ内容もなかなか興味深いアプローチで読んだ時には「さすがあの二人だなぁ。俺もやりたい分野だった悔しいなぁ」と強く印象に残ったのだが、
この間偶然にあるセミナーで中竹氏に遭遇。二人ともあまりの偶然でびっくりしたが、おかげでお茶飲んで記事に関する感想や情報交換もできてしまった。

昨年末ワールドカフェ(以前のbloghttp://www.ekkei.net/2008/02/blog-post_26.html)の体験会に参加したら、日本で初めてグラフィックレコーダーというキャリアを営んでいる女性と出会えたので、興奮して名刺交換させてもらったところ、なんと自分の友人と会社で仲の良い同期だったことが偶然友人の電話で判明。今度友人といっしょに会うことになった。
加えて、最近、仕事の関係で知り合った人(B氏)もその女性と前の会社が同じで知り合いだったことが判明。(ちなみにグラフィックレコーダーとは戦略ミーティングやブレストで話し合われた内容を絵で表現する人をいい、欧米で人気になりつつある職業)

さらにさらに上記の体験会で同じグループになった女性がB氏といっしょにミーティングに現れた。

またまた、その体験会がきっかけで参加したワールドカフェのコミュニティで、1年半前にある研修でご一緒した大阪の(ダイバーシティに強い)ファシリテーターと再会。再会するやいなや前職のパートナーから「誰かいいファシリテーター知りませんか?テーマはダイバーシティなんです」との質問が舞い込んだ。

これ以外にもシャレにならないほど【計画された偶然】やシンクロが頻発している。

いったいどういうことなんだろう。。おもろいね。ほんと。

2008年3月26日水曜日

資格取得、社内資格

以前、会社の教育担当をしていたときにハイパフォーマーの資格取得の傾向を分析したことがあります。

そこからわかった内容は、「ハイパフォーマーは資格コレクターと一致しない」「(しかし)ハイパフォーマーは資格というものを軽視しているわけではない」といったものでした。
もう少し説明すると、
「ハイパフォーマーは、比較的難度が高い資格を、それに関連した業務/プロジェクトを経験した前後に取得している」
これが共通項でした。

本人達に意図を直接聴いたわけではないのであくまでこちらの解釈ですが、
実際の業務経験と一般市場で認識されている知識やオーソライズをきちんとつなげておくというアクションは、本人の幅だしはもちろん、スキルのポータビリティ(トランスファードスキル)化になり、結果的に市場価値の向上に非常に効果的だと思いました。また資格取得の確度も上げられる有効なアプローチでもあります。
頭の片隅に入れておくには面白い情報だと思います。

ちなみにその際のデータ(社員数)は1000名程度で(そのうちハイパフォーマーとしてカウントしたのはたしか20名程度)、おまけに業界はITエンジニアリングなので、どこでも通じる「間違いない!」法則とまでは言えないですが。


NBonlineに社内資格制度に関するコラムが掲載されていました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20080314/150097/
(読むのには登録が必要)
これを書いた吉田典史さん、きちんと現状を捉えた的確なコラムだと思いました。
私の前の会社(なおかつ大クライアント)も導入していて、残念ながらあまりに物騒なテーマなので誤解をさけるために細かい意見は割愛せざるをえませんが(文章って結構誤解を生んでしまうんですよねぇ。。)、
ただ、、社員側のメリットを最も納得のいく形に構築できなければうまくいかないのは確かでしょうね。その資格を得ないとその仕事ができないという業務独占的な資格にして社員が取らざるを得ない様にする手もありますが、私は納得感なく強制されるのは嫌いですし外部統制圧力による支配は圧力がなくなった瞬間に支配は機能しなくなるので、結局は息苦しい縛りあいになってしまうと思います。

2008年3月15日土曜日

聴く力を実感

この間まで講師をしていた研修は、
受講者間のディスカッション演習が非常に多くそれが学習効果に大きな影響を及ぼす構造になっていた。深い気づきや良い発見、アイデアを起こすのには(質を手に入れるには)、ある一定の活発な意見交換(量)は必要不可欠ということだ。

ところが自分の受け持ちのクラスは出だしからおとなしかった。そしてなかなか場は暖まらなかった。

ちなみに今回の研修はキャリアデザインがテーマではあるが、コミュニケーション力向上の基礎的なものが組み込まれていた。「伝える力」と「聴く力」がそのテーマだった。「伝える力」は初日のコンテンツだったが、二人で組んで相手に伝わることをきちんと意識して相互でディスカッションをしてもらうという内容だ。

クラスは初日の「伝える力」セッションをしてもあまり暖まらなかった。

「まずいなぁ。このままではこの研修の効果が低くなってしまうなぁ」
色々とジャブを打っても返りが悪い。自分は顔には出せないものの内心困っていた。

そんなクラスの場が二日目のある時に急に暖まる。
「聴く力」のセッションの時だ。

コンテンツの構造は「伝える力」と同じ。二人で組んで、相手の話をきちんと受け止めて聴くことを意識して相互でディスカッションをしてもらうという内容。
「伝える力」を意識するか、「聴く力」を意識するかだけの違いなのだが、「聴く力」を意識した時の方がクラスの会話量が圧倒的に上がっていた。この現象は正直想定外だったので相当驚いた。

普段コミュニケーションを教えるときに「話す力より聴く力の方がパワフルですよ」と言ってはいたもののこういった効果を目の当たりにしたのは初めてだったので非常に収穫だった。
やっぱり実践は学ぶこと多いなぁ。

論理力を鍛えると勘も冴える

コーチングをしていると、論理力を上げたいという要望が良くあがります。

通常パーソナルコーチングで能力開発を具体的にサポートするケースはそれほど多くないと思うのですが、自分は能力開発の出なので(ストライクゾーン範疇ということで)能力開発のトレーニングにも対応することにしています。

上記のストライクゾーンという定義は、私がキャリアカウンセリングを教えていただいた芦田先生の講義の際に「皆さんはストライクゾーン以外を打とうとしないでください。今後、皆さんはキャリアカウンセリングをするうちに、なまじ士気が高すぎるがゆえに自分の能力を超えた介入をクライアントにしたくなる時が来ると思いますが、それによりクライアントの不利益につながる事が多いのです」と言われた言葉をそれ以来肝に銘じ続けていることです。

(話がそれました)
正直いうと論理力特にクリティカルシンキングといわれる分野では、一線級の方と比較されると情けないほどいまいちな私なので進んでやろうとしないのですが、クライアントの要望が強い場合には、「それでは少なくとも私のレベルにまでは上げておきましょう」と申し上げてお手伝いをすることにしています。

私がよくクライアントに「論理に自信の無い方は勘と閃きに頼る意思決定をすることが多いのですが、実は論理力を上げることでその勘の精度もあがるんですよ。現時点のあなたの勘の精度はもしかしたら未成年期に形成された論理レベルで止まっているいかもしれませんよ。」と説明しています。これは、最近では脳科学者もアイデア創造における有識者も口を揃えて指摘していることですので間違いはなさそうです。ここは最低限のレベルには上げておきたいところです。

面白いのはこの論理力。ある一定の向上を成し遂げた方は色々と明確な変化が現れます。最近の私のクライアントは、発する言葉が明らかにシンプルになりました。無駄な補足説明がなくなったので彼の話は非常に聴きやすいです。さらに面白い現象なのは彼の机の上は整然ときれいになったそうです。これもその効果である可能性はあります。

といいながら、私の机の上は。。。人の論理力向上をサポートする資格はありません。はーっ。。

ファシリテーターって大事だなぁ

今日はある団体のセミナーに参加しました。

その中のセッションにパネルディスカッションがあったのですが、もう一つといった内容でした。
パネラーはそれほど悪いラインアップではなかったと思いますし、実はファシリテーター自身は経験豊かで思い入れもある方なのですが、ファシリテーションがあまり訓練されたものではなかったのが要因のようです。

ファシリテーターのファシリの器以上の価値は場からは出ないのだなと考えさせられました。

人々の知恵を引き出し、それを掛け合わせるのは責任重大だと再認識しました。

自戒をこめて。

2008年3月11日火曜日

一皮むけた人の顔は変わる

後輩との飲みの席でそういう話をした。

自分は身の回りの人のこういったサインをできるだけ見逃さないように気をつけている。

これを初めて意識した時は30歳過ぎのこと。
当時付き合いのあった調査会社の社長(米人)と久しぶりに再会した時だ。再会するなり奇妙な顔して見つめる彼。

自分「ん?どうかした?」
「おまえ何かあったか?」
自分「いいや別に。そういや最近課長代理に上がったかな」
「そうかぁそれかな。いやお前なんか顔変わったよ」

その時はあっちの人は変わったものの言い方をするわいとピンと来なかったのだが、後から考えるとちょうどその時は仕事のものすごい修羅場を越えた直後だった。

どうやら仕事を通して人は顔が変わるのかもしれないとその時は思ったものだ。

その後、カウンセリングやNLPでの人の微妙な表情の変化を感じ取れる訓練を通して、こういった【一皮むけた人の顔の変化】をキャッチできるようになった。また、自分も他者に何回か同じような指摘を受けた。人は仕事(だけじゃないだろうけど)の大きな試練を乗り越えた時、顔つきに微妙な変化が現れる。(かつ、どうやらきちんと目に見える成果も出ることが大事なようだ)

自分はコーチングする際にはこのレベルの変化をクライアントに求めることにしている。そして、その成し遂げたかどうかの兆候をこの顔の変化に求めることが多い。
また、コーチング関係なく周囲の人にこういった【顔立ちの変化】が見えたときには必ずフィードバックをすることにしている。普通の人は自分の表情の変化には気づきにくいものだからだ。

せっかくストレッチな良い経験をしても自分に表れた変化が認識できないと、一皮むけきらず元の顔立ちに戻ってしまうこともあるからだ。それはあまりにもったいない話だろう。

もし部下を持っている人がいたら、部下のストレッチ経験直後の顔立ちの変化に注意してフィードバックをしてあげる気持ちを持ってもらいたいと思う。おそらく世の中には困難を乗り越えたのにも関らず周囲の無関心で一皮むけるチャンスを逸してしまっている人は多いのだと思う。

でも、女性には時々このアプローチは失敗する。

私:「あれぇ顔立ち変わったんじゃない?仕事で何かあったかい?」
相手:「いえ、髪切りましたからね」or「えーっ!太りました?」or「私やつれてます?」

どちらかというと、むっとした感じで返答されてしまう。。

女性は難しい。。

2008年3月8日土曜日

奢ってはいけない

本日は先週と同じテーマの研修最終クールでした。

前回は高テンションまくりでしたが、今回は3日間ずーっと悩みまくりました。
理由はクラスのノリでした。過去の例と比べてどうも暖まりが悪いのです。でもその理由がわかりません。先週と比較して決して手は抜いていません。
「うーむ。なぜだ?先週と同じノリを自分が勝手に期待して俺がクラスに押し付けがましくなっているのか?それともクラスのメンバーの組み合わせの妙なのか?」
でも受講者に責任を帰属させるのはプロとして失格だろうと、克服のために色々アプローチはして見るものの突破口は見出せず終了しました(終盤に過去にない妙なエネルギーのうねりはありましたが)。

「今まで自分は勢いで押し切ってたけれど受講者の可能性を信用すべきでもっと彼らに色々なことをゆだねるべきだったのでは?」
色々と深い反省の気付に溢れた3日間でした。

でも最後の最後で驚いたのですが、アンケートの講師満足度は過去最高のタイでした。
これは全く予想外でした。。全く受講者の評価はふたを開けてみるまではわからないです。
それはそれですが、
肝に銘じたのは「奢ってはいけない」です。おごった瞬間、責任の帰属を他者になすり成長は止まってしまうのだなと感じました。気をつけようっと。

2008年3月3日月曜日

仕事の雑談

今回の研修は想像以上にフィードバックをもらうことができた。研修が良いセッションになるとフィードバックもたくさん貰える。良いセッションというのは、講師の力ではなく(もちろんこちらはへろへろになるけれど)、講師側と受講者側のシンクロの度合いだなと感じる。どんなに気合を入れても受講者と微妙にすれ違うと驚くほど結果は変わる。そこが難しくもあり楽しくもある。

まっこんな能書きはさておき、今回うれしかったコメントのひとつがこれ。

「(仕事に関する)まじめな話をしているのに本当に楽しかった」

これは本当にうれしかった。自分がお願いしたのはまさに

「仕事の雑談を楽しんで」だからだ。

キャリアをテーマに研修をするのにガチガチにカリキュラムで縛るのはやるせない。
元気な会社、元気なキャリアを過ごしている人は例外なく仕事の雑談を楽しそうにする。自分の仕事の話を殆どしなかったり、愚痴オンリーにしてしまってキャリアデザインがうまくいくわけがない。(ひどい環境や仕事をジョークにして笑い飛ばすのはありだと思う。変にまじめすぎてもいただけない)
仕事を忌み嫌う存在にしてしまったら、キャリアの神様も「計画された偶然」を与えてはくれないと思う。
最近、仕事の雑談を楽しそうにする人が減った感じがするのは気のせいだろうか?

そういう自分も若手社員の頃キャリアに悩んで会社や仕事を呪っていたからあまり偉そうなことはいえる立場ではない。だけど、楽しそうに仕事の雑談をする友達を見たり、自分も仕事を楽しむことにしてから「これが本質だな」と考えが変わった。昔は「もっとまじめにやるべきだ」なんて思ったこともあったが遊び心無しの仕事は案外キレが悪いのも経験から学んだ。最近では人が楽しそうに仕事の雑談をするのを聞いてるとなんか心がほっとする。

うちのクラスは今回がっつり雑談まくりだったので、隣のクラスはさぞかしうるさかっただろうが是非とも許してもらいたい。もしかしたら研修のコンテンツや自分のアドバイスよりも、受講者のみんなは仲間との雑談の中からの方が学びは多かったんじゃないだろうか。

2008年3月2日日曜日

うーむ

今日は「アスリートのセカンドキャリア」に関するある大学の研究報告会を拝聴しました。内容は悪くはないが良いともいえないといった微妙なものでした。

「学究の場」と「リアルな現場」には距離があるなぁと感じてしまったのです。
大きな枠組みで政策的に進めるのも必要だとは思うのですが、現実に困っているアスリートに有効なソリューションが展開されるのには何年かかることかわかりません。

大学の研究者も志は決して低くは無いなと思ったのですが、外国のケーススタディリサーチ、あるべき姿の概念化、関係業界への提言という流れには現場のリアリティが感じられないのです。

例えば「アスリートが有している稀有な能力を活かす」というキーワードも「どうやって?」は一切語られてはいませんでした(そもそも稀有な能力は誰にとって稀有なのか?も不在でした)。私としてはここが一番大事だと思うのですが。。

アスリートが、そのスポーツにおいて獲得し発揮してきた優れた能力を抽象化して違う分野にトランスファーできる様にサポートすることがアスリートのセカンドキャリアの鍵だと思うのですが、もう少し具体的なソリューションに落とさないとそれを現場でサポートする人たちを養成できないでしょう。そうなると実際にアスリートがその貢献を享受できるのはかなり先になってしまいます。
資料中にはただキャリアコンサルタントの役割とだけ記述されているのですが、この業界にはそれができる人材は現時点ではかなり少ないといわざるを得ないでしょう。

パネルディスカッションもなんだかわからない展開になってしまっていました。現場でがんばっているパネラーの方々はいい味な感じでしたのでもっとファシってあげれば面白い場になったと思います。残念。

ヨーコゼッターランドさんの「アスリートは自分の世界をちゃんと言語化する様にならなければだめ(やや意訳)」の話、パソナスポーツメイトの八鍬美由紀さんの思いとリアリティのある話は収穫でした。

ただ今講師中

現在、講師中です。

内容は2年目社員のキャリアデザイン研修で3日間気を抜けない講師には結構ハードな構成になっています。この研修は私が開発の時から参画していて、こうありたいと考えるキャリアデザイン研修に結構近いのでやりがいがかなりあります。世間で人気の研修はゲーム要素や診断系をうまく取り込んで受講者の(娯楽的)満足度を高めるようなものが少なくないですが、この研修は殆どガチンコなカリキュラムなので講師のファシリが結構重要なのです。

この研修、4クラスを4人の講師で走らせていますが、それぞれ性格ややり方が違うのに不思議と皆評価が高いです。じゃあ受講者の評価に影響を及ぼすコアな要素は何なのか?今回、講師仲間に聞いてみました。
結論とまでは言えませんが、「成程ね」とうなったのは、【講師と受講者との間にある信頼感が(みせかけの浅いものでなく)本物であること】、【本気だという気持ちが受講者に伝わること】、【場をマネージするのに必要な最低限度の統率力】がこの時出てきました。他にもあるでしょうが、それぞれ語った講師のらしさが出ていてなかなか良い話でした。

私は今回ちょっと熱が入りすぎてしまい、2年目社員にしてはやや複雑な概念的な話をしてしまい、「ありゃー、飛ばしすぎて場が重くなってしまったか。。」と反省気味だったのですが、見事に受講者の方々がキャッチアップしてくれて、雰囲気、ノリの良い場が構築されました。
受講アンケートも心が動かされる様なコメントをいくつかもらい「疲れた甲斐があったぜ」と燃えカスながらテンションが上がってしまいました。

こういった場ができると受講者と別れ難くなってしまうのですが、ありがたいことに打ち上げに呼んでいただき、飲みまで盛り上がってノコノコと2次会まで参加してしまいました(笑)

自分が心がけている「ライブハウスノリな研修空間」が少し実現できました。
受講者に感謝です。

2008年2月26日火曜日

ワールドカフェ

って知ってますか?
最近ひそかに流行っているのですが、大規模の人数でダイローグ(腹をわった深い対話)を起こす手法の一つです。

私は最初にその名前を聞いた時に「最近良く聞くけど、カフェ経営に投資する金融商品かなんか」だと思ってましたが全然違ってました(笑)
最近、こういった大規模組織におけるダイローグ生成ツール(ちょっと安易なカテゴライズですが。。)が関係者で結構注目されています。「ワールドカフェ」以外にも、「AI」・「オープンスペーステクノロジー」・「フューチャーサーチ」という手法が有名です。ちなみに私は「フューチャーサーチ」以外は実ビジネスでの適用経験がありますが、どれもうまく適用すればなかなか興味深い効果をもたらします。

これらの仕組みをきちんと説明するとかなりマニアックな長文になる恐れがあるので割愛しますが、最近特に気に入っているのがこの「ワールドカフェ」です。
簡単に説明しちゃうと、4人1テーブル(× n)に分けられた参加者があるテーマについて話し合いをするのですが、途中でメンバーを相互のテーブルで入れ替えたりして話し合いを継続していくというやり方をします。それだけ聞いちゃうと何の変哲もない感じを受けるでしょうが、うまく使うと大人数(最小構成12~最大1000人以上)が短時間で全員の意識の共有化が図れたり、課題に関しての参加者のコミットメントを醸成したり、今までにない創造的なソリューションを生み出せたりするという優れた効果をあげることができます。
詳しくは「ワールドカフェ」という本(日本語対応済)が出版されており結構内容も良いのですが、残念ながらこれは本を読んだだけではかなーりピンときません。ただし、一度でも体験するとまずまずのセンスを持っている人はその可能性についてすぐ実感できます。比較的構造もしっかりしているので、ファシリテーション経験が多少あれば安定的に運営でき、効果も結構出ます。必死に神経張り巡らしてファシらないでも回せます(但しテーマ設定に知恵を絞るのといくつかの成功ポイントを事前に受講者に打ち込んでいおくのは必要)。

私自身は昨年末に知人の開催する体験会で初体験をしてからすぐ気に入って、クライアントや知り合いのパートナーに「やろう!やろう!」と提案しまくってます。
この間はお客様が「もうひとつピンとこないから体験したい」とのことでしたので体験会を実施しましたが参加者に好評でした。
私自身にとってもファシリテーター(カフェではホストという)をしている際に各テーブルから生まれるアイデアの結合現象が起こるの見るのが大変刺激的でした。

「ワールドカフェ」、チェックしておいて損はないです。
興味があって体験したい人は私に言ってくれれば体験会を開催する機会があった時に声かけます。
(現在、体験したがっている知り合いが5人いるのですが後10人位集まったら開催できます)

2008年2月24日日曜日

脳の活性パターン

時々、あるタイミングで脳が妙に冴えて、アイデアや気づきがばんばん頻発する時ってありませんか?
自分にもそういう時があるのですが、この瞬間を非常に大切にしています。

自分の記憶の中でも最高だった瞬間は、Fijiに旅行した時に起こりました。海を見ながら本を読んでいたら、今まで経験したこともないようなハイな瞬間が突然来て、本が信じられないスピードで進み次から次へとアイデアが湧いてきたんです。
3年前の出来事なのですが、この間その際(びっしり)書き込んだノートをみたら、独立までの道筋、今の仕事の戦略、戦術がその時に作られたものが全てベースになっていることに驚きました。

それ以来その再現を目指して色々とチャレンジしているのですが、わかったのはきれいな南海の旅行、思考が深かったり感度の良い友人とのブレストを通して起こりやすいということぐらいでした。

ところがこの間、私がキャリアコーチングをしている後輩と、旅行しながらコーチングするという【ツアーコーチング(仮題)】トライアルをしていた時のことです。その後輩が最近コーチングを勉強しているとのことでしたので、今度は立場を換えて私がコーチングをしてもらうことにしました。お題は「最近、脳の活性があまり起こらないのでなんとかしたい」です。お題がお題、勉強始めてから間もないということもあり、彼は途中で結局投了したのですが、それが考える良いきっかけになってくれ、結構いい整理ができました。
その際、わかった私の脳の活性パターンは、
①安全満足度の高いリラックスできる場所×②思考活性を起こすトリガー
でした。
fijiのケースでは、①がfijiの気候、きれいな海、プライベート空間の確保②が日本から持参した良書だったことがわかりました。
友人とのブレストでは、①がリラックスできる飲み屋、バー②が友人との会話だったわけです。

今のところは、①の最高パターンは南海のプライベートリゾート、②のトリガーは知的好奇心の高い友人との会話か(内省を起こす)良書ということが判明しました。

この気づきはかなり大きいです。うまくこの活性状態を作り出せたら半端じゃないクリエィティブワークがものにできますからね。後輩に感謝です。

皆さんも自身の活性化パターンわかっていますか?探索する価値は十分にありますよ。

2008年2月17日日曜日

成長にも個性


合宿研修の講師で長野県に出張しておりました。その研修では私はコンテンツには関わらず、受講者の方の学び・気づきにだけフォーカスして働きかけるという役割を担っているのですがあまり他には無い研修なので私自身も非常にためになります。

毎回思うのですが、人の学び・成長には個性があります。

一見当たり前ですが最初に実感したのは私が会社にいた頃所属した教育担当の時です。

それまでは人の好き嫌いが激しく、第一印象に近い時間で「この人はできる」「この人はできない」みたいに0/1で人を判断していたのですが、教育担当として新人を受け止める仕事を続けるうちに、人の伸びる時期、その時の幅や深さには個性があり、人を判断する時にはスナップショットではなく時間という軸も考えに入れないといけなのだと体感しました。

またそれが面白いと思ってしまったからこそこのキャリアを選んでいるのですが、この研修は毎回それを思い出させてくれます。

やっぱり個性は抑制するものでなく活かすものだと思うんです。当然、自分の成長の個性について特徴をしっかり把握しておくと、自分を伸ばすのが上手になるので満足感の高い人生がおくれると思います。

ちなみに私の成長パターンは一定期間超低空飛行で、ある時突然に垂直上昇する形です。

会社員時代、人事異動で新しいセクションにいくと暫くはあまりに使えないので上司がこっそり陰でため息をついてましたっけ。

しっかし、今年は寒いです。初めて諏訪湖に氷が張っているのを見ました。

2008年2月7日木曜日

いとおしい後輩達

今日、前職の会社で講師を終えて部屋を出たら昔の後輩達が顔を見せに待っていた。

彼らは自分が事業本部の教育担当をしたときの最初の新人だ。本当に良い思い出をくれたと思う。その当時では記憶に無いほどのやりがいを与えてくれた。彼らとの出会いは僕がこのキャリアを選ぶきっかけとなったといえるかもしれない。それだけにひとしおの思い入れがある代だ。

もう、いとおしいと言うには失礼な立派な社会人だがその当時の感覚が未だに抜けない(笑)

思いっきり飲みに行きたかったが明日も講師が入っているので泣く泣くあきらめた。
うー、もっと話したかったな。

2008年2月5日火曜日

WHALE

私の敬愛する元同僚に教えてもらったのですがこの言葉知ってました?

Working Hard And Learning Ended

の頭文字をとった言葉だそうです(出所はちょっとわかりません)。
乱暴に訳しちゃうと
「仕事は忙しいが学びが起こっておらず組織的につんじゃっている(状態)」
って感じでしょうか。

これって自分の会社員時代の経験を考えると結構良くあることだなと思ってしまいました。
「仕事とはそこに学びが存在しなければそれは本物ではない」というのが私の主張なのですが、まぁなんと精魂尽き果てて疲弊しても成長感を持てず目がどんよりしたゾンビーの様な社員の職場が多いことでしょう。

緩過ぎても成果もメンバーの成長もゆるゆるで双方の競争力が研鑽されない、かといってムチ打ちすぎても逆にメンバーの意志も無くなり高ストレス下の奴隷みたいになってしまう恐れありと、組織を率いる者はこの加減の難しさに悩むことも少なくなさそうです。

「部下は油断するとサボるもの」という性悪説に基づいたマネジメントをする者はこの状況を打開できないでしょうし、部下に(それが健全でも)プレッシャーを与えることのプレッシャーに耐えられないマネージャーでも打開できないでしょう。そもそも自身の成長をあきらめたり他責にしてしまうメンバーもその要因でしょう。

リーダーが組織の成果と個人の成長は好ましく両立すると心のそこから信じ、メンバーはキャリア的自己概念を成熟させ、時に難しくなるこの命題を実現させる創造力を双方で発揮したいものですね。

2008年2月3日日曜日

人が遺せるもの

「私たちは、後世に何を遺していくのか、お金か、事業か、思想か。誰でも残せるのは自分の高尚なる生涯ではないか」

内村鑑三さんの言葉だそうだ。

この言葉、妙にインパクトがあり、ある本を読んでいた時にみつけたのだが、それ以後、頭を離れない。

「高尚なる生涯」というとかしこまった感じがしてひくのだが、「自分に誇りを持てる生涯」と言い換えたらどうだろうか?決して他人から羨まれる様なものでなくても良いと思う。自分の生涯は結局自分のものだ。それなら自分が納得でき、自分を誇れることが人生に重要なのではないかと思う。

さらに私はこの生涯とキャリア(仕事人生)は切ってもきれないものだと思う。特にこれからの世の中は男女ともに大半の人は仕事を通して自分の人生を見つめることだろう。

昔小さい時、無口な父が自分の仕事を誇らしげに語った一瞬がある。父は技術屋ではあるが普通の勤め人で社会的に名声を得た人物ではない。ただ、私はあの時の父の顔が忘れられないし、あの時の父を誇りに思う(彼はそんなことは忘れているだろうが())。

金や事業は比較できるが自分の生涯は誰にも比較できるものではない。(中には勝手に他人が比較するかもしれないがそれは本質ではない。その人の心の中にだけ存在するものだからだ)

自分だけが紡ぐオリジナルなストーリー。ぜひ誇りを持てるものにしたいものだ。

その誇りあるストーリーは子どもやパートナー、仲間に語られ、遺されていく。

2008年2月2日土曜日

一芸にもがいた者は多芸に通ず?

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉があります。インターネットでこの言葉を使っている人を検索すると「一芸に通じる者はすごい。何でもできる。やっぱりすごいやつはすごい。(うらやましいなぁ)」といったテンションが多いようです。

私の言いたい点はちょっと違います。
最近頻繁に感じるのは、ぜんぜん業界が違ったり専門分野が違うのにがんがん話通じるやつがいるということです。よく観察するとそういう奴は、誰かがしゃべった内容を「(ああ、それは自分の場合では@@@と一緒だな)」と解釈できる様です。
これは経験した内容を抽象化して、違う局面で活かせる様に整理できているんだと思います。この特性は成長力の高い人に共通して表れる要素のひとつです。
この様な人は前述の「一芸に秀でる者は多芸に通じる」と評されますが、私は「一芸にもがいた者は」と変えたほうがピンときます。あまり努力せず天賦の才だけで一芸に秀でた人が多芸に通じているのをあまりみたことがないからです。
その分野で自分の可能性を証明したくて色々情報収集して色々取り組んで色々考え抜いているからこそ他分野との関連性に思考が働くのではないでしょうか?

この間、改めて強く感じたことがありました。
ひょんなことからプロのサッカー選手とお茶&食事をする機会を得たのですが、彼は非常に知的好奇心の高い人でした。またキャリアデザインに修練する機会はあまり無いはずなのに、私のキャリアに関する話に完全にキャッチアップしていましたし、他の異業種仲間のビジネス話に高い関心を持って聞き入ってました。今まで何人もこのノリにこぼれた若手ビジネスパーソンの数を考えると私には驚く体験でした。(詳しくは友人のブログhttp://ogajuns2000.blogspot.com/「ひょんなことから」をご覧ください。)

彼は選手としてはベテランの域に達しかつ体の故障との戦いで、いつ選手生命を絶たれるかもわからない危機感の中、自分にとってサッカーとは何なのか?自分の生き様はどうあるべきなのかを深く考えているのでしょう。
この様な人は話をしていても心を揺り動かされます。当然支えたいなと心から感じさせます。
すごく良い出会いでした。

2008年2月1日金曜日

1周年

去年の1月末に15年以上働いた会社を退職して、2月1日からフリーランスとして働くことになった。あっという間に1年たった感じだ。


本当に激動な1年だ。リーマンからフリー。この年で娘ができた。引越しもした。どうやら去年は厄年だったらしい。全く笑ってしまう。かなり慎重派なんだけどなぁ、自分は。


元々はフリーで起業するつもりなんかなかった。憧れもしなかった。組織愛に満ちた会社で仲間に囲まれて生き生きと働くつもりだった。でもうまくいかなかった。頑固者で納得できない仕事ができなかった。与えられたオーダーの根本の意義から問い直す様な社員は上司からみたら最悪な存在だ。

(ちなみに企業で活躍できる人材タイプは梅田さんが「ウェブ時代をゆく」で書いている。面白いので見られてはいかがだろうか)


30をけっこう過ぎて本当にやりたい仕事をみつけた。やりたい仕事を一生懸命やっていると仲間がより多くなった。様々な力が上がった。結果も出るので(ふらふらしている頃よりは)自信もついた。ようやくほっとした。人にもやさしくなれるようになった。


そして、自分らしい仕事の仕方を追求していったら、いつのまにか今の道になってしまった。

全くキャリアってやつはどう転がるかはわかったものではない。


でも1年経った。多くの人に支えられたおかげだと心底感じている。

でも、目に見えない人たちに片っ端から感謝を述べる気は無い。そんな宗教的な広い心はちっぽけな自分にはない。


支えてくれた人は仕事やプライベートで深い付き合いができた人達だ。逆に自分もその人たちのためならできる限り支えたいと思っている。そういう付き合いこそが自分にとって本当に意味のあるものだ。これからも、そういう濃いつながりを楽しめる人生だったら幸せだ。


この1年ありがとう。今年は楽しく挑戦していきます。

2008年1月30日水曜日

これからの研修は

皆さんはもう既に聞いたことがあるでしょうが、ただ知識を伝える(ビジネスパーソン向けの)研修スタイルは限りなく少なくなっていくそうです。

(ウェブ進化論の梅田さんではありませんが)知識はむこうの世界に置いてあるのでその探し方を知っていることこそが大事。

公式的な正解が無い昨今の世の中では、答えを知ることより(そもそも知ることができない)自らが答えを探す(もしくは作り出すor答えだと決断する)能力が重要

等の理由からです。

じゃあ研修の方向はどこに向かうかというと、
「思考力・人を動かす力等のメタ能力を身に着けるサポート」「知識を実際のスキルに転換するサポートする」が期待されることになります。これらは、従来の研修でも期待はされていましたが、成功している例は実際にはあまりなく、またそれを「そもそも教育の投資対効果は先になってみないとわからない」という逃げ口上等で見逃されてきた分野です。

また、それ以外に、受講者全員が持っている知識や経験や思考を結集させ今までに存在しなかった創造的な答えを導き出す。講師は答えを教える人ではなく、受講者間のダイアローグ(相互オープンで深い話し合い)をファシリテートするといった形態の研修が主役に浮上していくと言われています。
(実際には欧米では多くの取り組みがなされ結果を出しつつあるようです)

何がいいたいかというと、
そういう流れを真に受けて、こっそりファシリテーション関連のスキルを研ぐ私なのでございます。

そういう人材はまだ市場に少ないですからね。がんばらないと。。

2008年1月28日月曜日

ちょっとご紹介

ちょっと2つ紹介させてください。

私が一部原稿を書いた本が出版されました。
「企業変革のマネジメント」一條和生教授 (著),NTTデータ(著)
http://www.amazon.co.jp/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E5%A4%89%E9%9D%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E2%80%95%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%AE%E3%80%81%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%81%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%9D%A9-%E4%B8%80%E6%A2%9D-%E5%92%8C%E7%94%9F/dp/4492532420/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1201443828&sr=1-1
私が在職時に参画した会社の変革活動に関する本です。ただ、内容はある程度の組織規模がある会社の方で無いとピンとこないかもしれません。やや旧態としてきた会社の変革に汗を流されている方には多少の参考になるのではないかと思います。
私の名前は本の裏に記載されていますが、正直に申しあげると、私の原稿がだいぶ未熟だったので私の敬愛する同僚の直しがきっちりと入って私の文章自体は名残りしかないかもしれません。。。
でも書きたかったことは失われていないので、いちおう私も関係者ということにさせていただきます(笑)


アントレネットで取材された私の紹介記事が載りました。
http://entre.yahoo.co.jp/contents/icreport/index.html

部分によっては少々内容が曖昧なため誤解を受けそうな箇所もありますが、全体的には良くまとまっているなと思いました。編集者はやっぱりプロですね。
恥ずかしいけどやっぱり少々うれしいもんです。

私はどちらかというとこってりとした営業やアピールが好きではないのですが、フリーともなるとやはり多少の露出・アピールは食べていく上で必要不可欠になります。
「必要不可欠ではあるが、どうも気が進まないな。でもやらんとなぁ」
とこの一年ひそかに焦っておりましたが、1年の終わりになって自分に関係あるものが二つも世間の目に触れる機会が出てくるなんてうれしい偶然です。

2008年1月27日日曜日

ファシリテーテッド360°

皆さんの会社では360度評価(もしくは診断)なるものをやっていますか?
主にリーダー職(不思議と幹部クラスになると対象外になれる)を対象として、上司・同僚・ビジネスパートナー・部下からそれぞれ評価を受けるというシステムです。

私はこれが好きではありませんでした。
やって本当のところが出てくるのかが疑問だったし、またやったアセスメント結果が返ってきただけでそれが何にもなっていないケースが殆どだったからです。

評価結果をただ紙等で伝えるだけだと、その人にとってショックな部分にだけ意識が集中します。加えてたとえそれを直そうとしてもまともなアドバイスなんか結果表には記載されていません。完璧な人間はいるわけないんで必ずマイナス評価は存在します。でもプラスな部分も必ず存在するんです。通常のアセスメントはその人のネガティブな部分にのみフォーカスさせ、全体的なエネルギーレベルを下げて改善方向にも向かえなくなってしまうというリスクがあると思います。これではフェアじゃないと私は思います。
私は納得感とフェアであることが大事な価値観としているので、弱い者いじめみたいな施策は好きではないのです。
でもこれに関して「ファシリテーテッド360°」という面白いアプローチがこの間読んだ雑誌で神戸大の高橋潔先生が紹介されていました。
360度評価をやっただけでなく、その評価者が集合してファシリテーターのリードの下、被評価者の長所とその人がもっと良くなるために必要なアドバイスを話し合います。そしてそのアドバイスを持ったファシリテーターが被評価者と面談をしてそれを伝えコーチングをするのです。
これなら結構フェアじゃないかなと思いました。悪くないアプローチではないでしょうか?
ただ、このファシリテーション、コーチングをする人は良く訓練されてスキルフルでなければならないので実現段階ではここがネックになるでしょうね。
でもこの仕事ちょっと面白そうです。いずれ是非やってみたいです。

2008年1月25日金曜日

名刺物語①(名刺交換恐怖症になる)


あるフリーランスの物語。

独立を考え始めていた会社員時代。独立後の名刺にはこだわりがあった。

「会社の名刺はずーっと白地に明朝文字。本当によその会社と比較してかわり映えしないよなぁ。やっぱり名刺ってやつはある意味アイデンティティを象徴するわけだからクリエィティブである必要があるはずだ。よーし、俺は色やデザインにこだわりを持ったセンスあふれる名刺を作ってやるぞ!」

そして独立。

「さーて、独立したが名刺がまだだな。これでは人と会うのもままならないぞ。未だに名刺ができていないなんて言語道断。営業経験者って誰も信じてくれないだろうな。やばいやばい」

そして検討

「。。。うーん。だめだアイデアが降ってこん。。考えてみればそもそもデザインって全く縁遠かったじゃないか。どうしよう」

必死にググる男。ひょんなことから写真を名刺にできるサイトを発見。

「おお、これだ。この間行ったタヒチの海の写真を背景にしよう。美しい風景だしイメージアップにつながるかもしれない」

そして最初の名刺誕生。

「おお、なかなかオシャレじゃないか。悪くないかもしれないな。でも俺の商売と全く無縁のエスティティシャンかなんかの名刺みたいになってしまったな。まぁいいか。。」

ある異業種交流の飲み会。そもそも、この手の会でリラックスできない男は営業スマイルを浮かべながらおそるおそるベテランの営業マンに名刺を渡す。ベテランの営業マンは、

「。。。。字が読めねぇ。そもそも名前が読めねぇ名刺なんてなんの意味があるんだ?営業からするとありえないな。」

もしかしたら年齢とアルコールでお目が遠くなられているんでは?というセリフを意志の力で抑え込み、「なるほどそれもそうだ」と反省。新しい名刺作ることに。

今度もネット注文系で挑戦。

「そうそう、そもそも自分は色やフォントにこだわりを持ちたかったんだ。よーし、色は青に緑が少しかかったやつにしよう。フォントはそうだな。。かたい明朝はやめてポップ体だ!」

変に興奮して妖しい目つきでオプションをつけまくる男。

名刺ができあがる。

「むぅ。。ちょっと想像できなかったものが出来上がったかも。。むぅ。。」

そして新しい名刺を配り始める。

コンサルタントに渡す。

「ほほー、これはこれは面白いですねぇ」
(笑顔だが本音が見えない表情)

商談時にお客様に渡す。

「ほうっ。なるほど。。」
(怪訝そうな無表情)

仲のよい後輩に渡す。

「へぇーっ、なんかキャバ嬢ぽい名刺っすねぇ。僕こういうの2,3枚持ってますよ」

。。。やっぱりぃ?やっちゃった俺?

ためしに次に名刺を渡す時に一言付け加えてみた。

男「いやぁ、よくキャバ嬢の名刺みたいだって言われるんですよ。ワッハッハ」

別のコンサルタント

「やっぱりそうですか。いやー、なんと申し上げてよいかわからず困っていたんですよ。ワッハッハ」

(グサッ!そのセリフがトドメとなり男の心は折れた)

かくして、男は人に名刺を渡すことに恐怖を覚え、交流の場や商談の場に出るのが億劫になっていくのであった。

減らない箱詰めの名刺を見て心を暗くしながら。。

続く。

2008年1月23日水曜日

コンテクスト パフォーマンス

ある雑誌を見ていたら、上記の言葉を発見した。

意訳すると、
「業績と直接的につながるわけではないが、業績を上げることに欠かせない間接的な環境要素に良い影響を与えていること」
とでも言えようか。

【自分の所属している組織のメンバーをモチベートしてやる気に満ちた集団になるよう働きかける】

【会社の繁栄に将来影を落とす可能性のある微細な兆候をみつけ組織に警鐘を鳴らす】

【形骸化している社内制度を現状に合わせる特別プロジェクトを自ら発起する】

【現業が忙しすぎて誰も手を出せないが、将来無視できないトレンドテーマに関する勉強会を立ち上げ社内有識者を育成する】

まだまだ色々なものがあるだろう。
よくよく見ると昔から日本の会社にちゃんと存在していた行為だが、やったからと言って自分の仕事の実績にダイレクトに跳ね返ってくるわけでもないので、最近はごく一部の変わり者的存在を除いて、積極的に関るものは減っている。周囲もリスペクトはしてくれない。でもなぜか、そういうことに熱心だった人がいなくなった瞬間組織は恐ろしいほど荒廃する。その人の良さに気づいた時にはもう後の祭りだ。そんな経験がある人は少なくはないのではないだろうか。

昨今のビジネスパーソンは成果主義、というより組織が個人単位の実績に強くフォーカスして処遇される様になってきている。
これの弊害として、個人の力が組織としての力につながらなくなって組織力が低下しているそうだ。
これを防ぐ考えとして、上記のコンテクストパフォーマンスという観点でも人を評価するようにしておかなければならないと主張されているらしい。

自分としてもこの考え方は良いとは思う。
もちろん個人の業績にフォーカスして評価することは悪いことではないが、組織を一個の人間として考えた時、各臓器・各神経細胞は相互につながっているからこそ機能する。それぞれが個別に優秀に機能するためには色々な多機能がサポートするように働くから機能できるし、そういう相互ネットワークシステムが機能していることこそが意味のあるパフォーマンスといえるだろう。
優れた心臓を評価したって、ぼろぼろな血管や停止しかかった脳だったら意味が無い。評価を個人毎ばらばらにしすぎてもバランスが悪すぎる。
各個人がめいめい勝手に主張して相互につながらないのは言ってみれば組織的なウツ病状態だ。

キャリアコーチングの観点でも、ある技術やある業務に特化して優秀な奴よりも、個と個の間に存在する(誰が手を出すかわからない)グレーゾンに積極的に関与する奴のほうが、会社全体の成果につながる仕事をしているし、甲斐性のある高価値人間として会社を出ても確実にモテる。

かといって、組織のコンテクストにのみフォーカスして、自分の仕事で明確な結果を出せなければ評価も何もできないのは厳然たる真実ではあるけれどね。
実業務が持っているプレッシャーからの逃避として、コンテクストに逃げるという行動もよくあることだから気をつけないといけない。

(会社員時代の自分の行動に関する自戒をこめて)

2008年1月20日日曜日

いい塾の先生は

最近、「ダブルキャリア」(生活人新書)という本を読んだ。

その本に書かれていたセリフが背筋を正す様な気持ちにさせてくれた。
ある学習塾のコンサルタントさんが話してくれたものらしいがなかなかに奥深い。

「いい塾の先生は子どもが家に帰って勉強したくなるような授業をする」

コーチングや講師業に携わる者は心していなければならないセリフだと思う。
この考え方は自分のやり方のベースになっているが、これを愚直に徹底し続けることは結構難しい。
勉強すべき知識内容そのもの(コンテンツ)にフォーカスするより、
クライアントが学ぶプロセスにフォーカスする方がより大きな成長に寄与することができる。
ただ、クライアントの機会から学ぶ力には非常に個人差が大きい。時に学ぶ力がまだ磨かれていない人には答えに近いところまで導いて、徐々に学ぶ力を上げる手伝いをしなければならない(と個人的にと思っている)
ただ、これは度を越すと相手の学ぶ力を削いでしまう恐れもある。非常に加減が難しいやり方だ。

状況に柔軟に合わせて最も効果の高いやり方をとる。
ただ、上記のセリフを常に忘れず自分に問いかけ続ける。
それこそを自分のスタイルにしたい。

ちなみにこの本そのものも結構よい本だと思います。
企業に勤めつつも自分のキャリアに確信が持てずもやもやしている人は一読の価値があります。私もこの考え方を時々クライアントに勧めることがあります。そもそも自分にしても似たスタイルで自分のスキルを磨きましたから。

フリーになって①(肩書)

会社の看板を下ろして素の自分で勝負してみたい。


そう思い続けて転職ではなくフリーランスの道を選択したのだが、いざ会社を辞めて活動してみるとなんと日本でビジネスをする際に会社という看板が先に出るのかということを実感した。


「初めまして!私は@@@の田中と申します」

「こちらこそ!私は@@@の山田です。よろしく」


「もしもし、@@@商事さんですか?私は@@@の鈴木です。」

会社の肩書きは非常に重要だ。ミーティングの後でも下手すると人の名前は抜けて社名しか記憶に残らない。

自分も一応屋号をつけたのだが、

『HRDエージェント エッケイ』、前部は職業のイメージを指すもので、いわゆる社名にあたるものは『エッケイ』だ。

「どうせ、自分を前面に出して商売をするのだ。格好いい横文字を無理くり考えるより、自分の名前をただ音読みでつけるほうがわかりやすくていいか。」
とつけたのだが、これがいいにくい。


「もしもし@@@商事さんですか?エッケイの野口と申します」

「はっ?(こいつ何?勧誘?)」


相手はいきなり警戒モードだ(笑)

日本は名前で勝負する国ではなく、会社→肩書→家族名→本人名という順でブランドが成立するんだろう。(だいぶ変わりつつあるが)これではやはり日本は成り上がりが難しそうだ。


「やぁ、僕はマイケル!僕の専門領域は@@@。過去には@@の仕事をしました。この分野は僕にぜひ任せてください。ちなみに今@@社に所属しています。」


ちょっと憧れるがこのノリはまだまだ実現しないだろう。


最近は電話する際には

「もしもし@@@商事さんですか?私はHRDエージェントの野口と申します。@@さんはいらっしゃいますか?」

としている。


『HRDエージェント』はいわゆる「人材の能力開発に関る者」という意味で何のID説明ではないのだが、

大抵の場合、すんなり電話は取り次がれる(笑)

2008年1月14日月曜日

ブログ始めます

エッケイです。

昨年の1月末、
長いこと勤めた会社を辞めてフリーランスになりました。

大手のシステム会社を40代になってから、それも(前職のブランドが通用しないという意味で)システムとは何の関係もない能力開発関係でかつ、フリーになるということで、周囲の驚きは相当のもんでしたし、全く予想外に初めての子供(娘)ができるというビッグイベントまで飛び出し、本当に激動の年でした。

それでもお客様や仲間に支えてもらいなんとか1年経とうとしています。

フリーになって強く感じたのは発信の場の大事さです。
会社員と違いフリーランスは職場の同僚がおらず周囲に対する発信を気軽にできる環境はなくなります。
以前は自分の気持ちを人に伝えたかったら周りを見まわせばいくらでもいました。
でも今は努力して探さないとそういう場は手に入りません。

この一年で、自分にとって考えたこと感じたことを発信することはものすごく重要でそれが自分の成長に大きな意味があるということがよくわかりました。
それが私がこのブログを始めようと思った理由です。

このブログと読者の方の関係への思いでいうと
できる限りの多くの人の目に触れてもらいたいという顕示欲があるわけではなく、かといって自分の独り言だから誰が見なくてもかまわないという気持ちにもなれない中途半端きわまりないのですが自分の思いをなるべく正直に書き、それを見てなんらかの心に響くものを感じた人が時々訪れさらに時に何かコメントを落としていってくれるようなものになってくれれば限りなくうれしいと思います。

それでは、はじまりはじまり。