2008年1月23日水曜日

コンテクスト パフォーマンス

ある雑誌を見ていたら、上記の言葉を発見した。

意訳すると、
「業績と直接的につながるわけではないが、業績を上げることに欠かせない間接的な環境要素に良い影響を与えていること」
とでも言えようか。

【自分の所属している組織のメンバーをモチベートしてやる気に満ちた集団になるよう働きかける】

【会社の繁栄に将来影を落とす可能性のある微細な兆候をみつけ組織に警鐘を鳴らす】

【形骸化している社内制度を現状に合わせる特別プロジェクトを自ら発起する】

【現業が忙しすぎて誰も手を出せないが、将来無視できないトレンドテーマに関する勉強会を立ち上げ社内有識者を育成する】

まだまだ色々なものがあるだろう。
よくよく見ると昔から日本の会社にちゃんと存在していた行為だが、やったからと言って自分の仕事の実績にダイレクトに跳ね返ってくるわけでもないので、最近はごく一部の変わり者的存在を除いて、積極的に関るものは減っている。周囲もリスペクトはしてくれない。でもなぜか、そういうことに熱心だった人がいなくなった瞬間組織は恐ろしいほど荒廃する。その人の良さに気づいた時にはもう後の祭りだ。そんな経験がある人は少なくはないのではないだろうか。

昨今のビジネスパーソンは成果主義、というより組織が個人単位の実績に強くフォーカスして処遇される様になってきている。
これの弊害として、個人の力が組織としての力につながらなくなって組織力が低下しているそうだ。
これを防ぐ考えとして、上記のコンテクストパフォーマンスという観点でも人を評価するようにしておかなければならないと主張されているらしい。

自分としてもこの考え方は良いとは思う。
もちろん個人の業績にフォーカスして評価することは悪いことではないが、組織を一個の人間として考えた時、各臓器・各神経細胞は相互につながっているからこそ機能する。それぞれが個別に優秀に機能するためには色々な多機能がサポートするように働くから機能できるし、そういう相互ネットワークシステムが機能していることこそが意味のあるパフォーマンスといえるだろう。
優れた心臓を評価したって、ぼろぼろな血管や停止しかかった脳だったら意味が無い。評価を個人毎ばらばらにしすぎてもバランスが悪すぎる。
各個人がめいめい勝手に主張して相互につながらないのは言ってみれば組織的なウツ病状態だ。

キャリアコーチングの観点でも、ある技術やある業務に特化して優秀な奴よりも、個と個の間に存在する(誰が手を出すかわからない)グレーゾンに積極的に関与する奴のほうが、会社全体の成果につながる仕事をしているし、甲斐性のある高価値人間として会社を出ても確実にモテる。

かといって、組織のコンテクストにのみフォーカスして、自分の仕事で明確な結果を出せなければ評価も何もできないのは厳然たる真実ではあるけれどね。
実業務が持っているプレッシャーからの逃避として、コンテクストに逃げるという行動もよくあることだから気をつけないといけない。

(会社員時代の自分の行動に関する自戒をこめて)

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