2008年4月2日水曜日

被コーチングモード

先日、プロでコーチングをしている人をコーチングする機会が複数回あった。

こういう時、非常に面白く感じるのだが、
コーチングに慣れている人は必ず「コーチングされモード」に変身する。(こちら側もある程度コーチングをしているとこのモードに入る切り替えタイミングがわかるようになる)

このモードに入ると、クライアントは勝手に自ら気づきマシーンみたいになるので、あまりコーチの技量は問われないといえるかもしれない。こちら側はクライアントの気づきモードを邪魔しないことだけを心がけて、色々な角度で質問を打ち込むだけに集中すればそれでOKといった感じである。
この状態になるとクライアントは勝手に「ん。ああそうか。」とか「なるほどな。。」「ふん、ふん、ふん」とぶつぶつ呟いた挙句「どうもありがとうね。おかげで面白いことに気づきましたよ」と満足げに終了する。お礼を言われたこっちの方が恐縮してしまう。

こういう事象を捉えて、自分は、「クライアントが自ら気づくために壁打ち用の壁を探している」と表現している。あるベテランコーチに聞いたら「かえって、あまり小賢しくなっていない半素人の方がどんな角度から質問が来るかわからないので想定外の気づきが得られて面白い」という言い方もしていた。

以上のことをふと思い出しながら閃いたのだが、
「被コーチングモードに入るためのトレーニング」を作ったら面白いのではないかと思った。
(研修になるか継続的な取り組みになるかは未定だが)
最近は企業のリーダー向けのコーチング研修が盛んだ。ただ、数回の研修で、会社の上司が、部下に対して、ラポールを形成して、部下を気づきが誘発されやすいモードにするなんて芸当を、会社から期待されるなんてちょっとかわいそうだ。

上司は最低限のコーチング的質問スキルだけは習得しておいて、部下がそれを利用する(要するに部下の方から取りに行く)形式に変えてしまうのだ。当然、上司は最低限の質問技術がなければ「あの人はいまいち」と言われるが、部下のほうもあまりに気づけないと「学習センスないんじゃないの?」と軽くプレッシャーをかけられる感じな方が本質的ではないか?

ひいてはその方が部下のためにもなる様な気がする。「成長できないのは上司のせい」なんて理屈が通るのは甘っちょろい会社だけだもの。

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