2009年7月27日月曜日

人を教える人は止まった人か?

ここ数年、若手~中堅社員の研修講師をしていて、

彼らの悩みとして多く出てくるものの一つに、
「後輩を育成しろと言われているが、まだ自分を伸ばすので必死で、正直下のことなんか構っていたくない」
という話が良く出てきます。

これに関しては、正直、自分の若い頃を考えると同様の気持ちを持っていたこともありますしそんな彼らを責めることはできません。

でも今、人の成長に携わる仕事をするものとしてこの話を聴くと少々違和感を感じるようになりました。

またそれとは逆に、中堅~上位役職者が「俺もそろそろ色々な面で後進を指導しなくてはな」なんて構えるのも同様の違和感を感じます。

前者と後者の話双方に、
「人の指導育成は充分な知識と経験を持ってからじゃないとできない」
というフレームを感じるからです。

また、そのフレームの中に「成長がある程度終息してきて、さぁ覚えたことを知らない奴に教授したろうか」という臭いを漂わせている人も少なくないのも感じます。

でも、自分自身、年を取ってもやはり変わらず感じるのは
「高いところにいる人(多くはそんな目線になっている人)に別に教えてもらいたいなんて思わないし、その人が本当に素晴らしいことを教えてくれるのかこの時代は特に疑わしいもんだ」

「俺も人に教えるレベルになったな、なんて自信はいつまでたってもつかないなぁ」
ということです。

私は年をとってもトンガリ小僧なのかもしれませんが(笑)、
じゃ、自分はどんな人に教えを請いたいかというと、
「(若かろうが年寄りだろうが)今も成長を続けている人(もしくはそんな意欲を捨てていない人)」
です。

違う言い方をすると、
「自分も成長しながら同時に人も育てられる人」
を若手~中堅の方には目指してもらいたいなと思いました。

冒頭の様な悩みを持ってらっしゃる若手の方々、そう構えるもんでもないですよ。

その人のなんらかの役に立とうとする位はベテランじゃなくても出来るし、
(そう、同期や後輩ですら師になり得ます)
人に教えることによって自分のレベルを一層引き上げることができる逆教育機能もあるから
実はお得なんです。若いうちから育成力鍛えられるますしね。

ただ、「教える立場の人はとにかく(鵜呑みに)偉い人なんだ」っていう
日本の学校教育で組み込まれたフレームは捨て去りましょう。

その幼少期のフレームが、逆に教える立場になった時にあなたの感性を鈍らせます。
教わる人に対し無条件に自分に従うことを(無意識に)押し付ける恐れもあります。
そんな人最悪でしょ?それだけは気をつけないとね。

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